お母さんの月命日とW杯の敗退⚽

近所の白銀公園にて

きのう29日は母の3回目の月命日だった。
だからというわけではなく、たまたまきのうになっただけなんだけれど、昨晩は久しぶりに会う知人と四谷で会食。

この知人と会うのは母が他界してからは初めて。
毎回恒例、広島名産のレモン菓子をお土産に持参したので、僕より年下の知人は先に二親を亡くされていることもあり、自然と葬儀、相続、遺品整理の話になった。

ついそんな話をしてしまうのも、母が死んでから3カ月経つ今も、まだ喪失感が拭い去れないからだ。
母はスポーツ好きだったから、何か新しいスポーツネタを見聞きするたび、これをお母さんに聞かせたら喜ぶだろうな、などと考えて、もういないんだった、と改めて気づいたりする。

正直言って、この6年間、お母さんは持病が悪化し、認知症も進んで、もうかつてのお母さんではなかった。
毎月、東京と竹原を往復しては施設や病院で面会するたび、いつ「その時」が来ても慌てることのないよう、様々な手配と準備を進めていた。

ところが、いざ現実に亡くなられると、つい最近までの大変だった記憶はすべて吹き飛び、いつも元気で明るかった頃のお母さんばかりが思い出される。
着物や洋服など、もう残しておいても仕方がないとわかっている遺品も、手に取ってみるとなかなか捨てる気にならない。

知人も同様で、やはりいろいろな親の遺品がまだ手つかずのまま残っているという。
そんな話をしながら、楽しく飲んで食べて、夜10時頃には帰宅して就寝。

午前2時過ぎには目を覚まし、W杯の日本-ブラジル戦をテレビ観戦。
ところが、睡眠時間が足りなかったためか、ウトウトして佐野海舟の先制ゴールを見逃してしまった。

それでも日本が1-0で前半を折り返し、ひょっとして逃げ切れるかと淡い期待を抱いたが、〝王国〟ブラジルはそんな甘い相手ではなかった。
後半はたちまち1-1の同点に追いつかれ、ボクシングに例えるなら、日本が再三コーナーに追い詰められて有功打を浴びせられる一方的な展開に終始。

せめて同点で延長戦に持ち込めれば、と思っていたアディショナルタイムの最中、ゴールの右端へ痛恨の勝ち越しシュートを決められて万事休す。
テレビで解説者やコメンテーターが言っていたように、日本が善戦したのは確かだけれど、実際には底力の差を見せつけられたあげくの〝完敗〟に近かった、と言っていいだろう。

そんなことをSNSに投稿したら炎上するかな。
日本代表のみなさん、この悔しさを糧に、もっともっと強いチームになってください!

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。2010〜2026年、東京スポーツでコラムや野球記事を連載。 日本文藝家協会会員。Yahoo!ニュース公式コメンテーター。
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