昔馴染みの編集さんと寿司をつまむ🍣

神田神保町の名店〈鶴八〉

最近、寿司といえばちよだ寿司かスーパーのパック寿司ばかりで、都内の老舗からはすっかり足が遠のいている。
そうした倹しい食生活を送っている中、きのうは昔馴染みの編集さんに誘われ、神田神保町の〈鶴八〉にお邪魔した。

「ここはすごいよ、感動するから」と編集さんに言われて、鰹、カレイ、イカ、赤貝のお造りからスタート。
最初にカレイの刺身を口に運んで、噛み締めた途端に「旨っ!」と声が出そうになった。

このあと、お造りを2皿続けて、握りに移行。
大トロ、中トロ、コハダ、海老、シマアジなどなど、どれもこれもびっくりするほど美味しくて、ボックス席に皿で出される端から次々に平らげてしまった。

寿司をよく食べるようになったのは、昔は築地にあった日刊現代に入社した1986年ごろからである。
場所柄、会社自体が懇意にしている店が多く、バブル経済真っ盛りの当時は、取材対象やメディア関係者との会食は経費で落とせた。

特によく通ったのは〈多喜本〉(現在は閉店)という店で、築地市場で直接ネタを仕込んでおり、まだ23歳の若造だった入社1年目、ここで初めて脂の乗った大トロを食べた時の感動は忘れ難い。
処女作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(2002年/講談社)を上梓した直後、担当の編集さんにご馳走された新橋〈しみづ〉のタコもよく覚えている。

〈しみづ〉まで行って、なんでタコなんだと、食通にはせせら笑われるかもしれない。
しかし、僕がふだんスーパーで買って食べているパックと、本格的な寿司屋さんの握りはいかに違うか、最も差が出るのがタコのような庶民的な素材だと思う。

その後、銀座、青山、神楽坂などの名店にも通ったが、これだけトシを取って思い出すのは宮崎の寿司屋だったりする。
とくに、〈黒潮鮨〉〈はっとり〉の鯵と穴子は、キャンプ取材で足を運ぶたびに、僕が行くまでネタを確保しておいてくださいね、とお願いしていたほど。

そのころは考えなかったが、このトシになって〈鶴八〉の寿司をつまみながら、しみじみと感じたことがひとつ。
これだけ美味しい寿司を、自分の親にも味わわせたかった。

僕の両親はおかげさまで健在だが、年齢相応に衰えていて、もう昔のように東京へ呼んだり、伊豆の温泉に連れて行ったりすることはできない。
編集さんは僕の一つ年上で、やはり高齢の親御さんを持ち、お互いにネタや悩みは山とあるから、介護話の話題は尽きなかった。

寿司を腹一杯楽しんだあとは、青山のバー〈L〉に移動。
ここは編集さんと一緒に20代から通っている店で、以来30年間、場所も内装もシステムもまったく変わっていない。

久しぶりの外飲みで、しかも若い女性のいる店だったから、いい気になってスコッチのソーダ割りを飲み過ぎた。
12時前には帰宅したけれど、おかげで今朝は起きるのがつらかった。

ようやく頭痛が消えたきょうの午後、父親のガラケーに電話したら、また体調が良くないという。
次回帰省する予定はすでに立ててあるが、仕事のスケジュールを調整し、早めたほうがいいだろうか、と考えた。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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