飯能で知った新事実🚵‍♂️😳

右回りループの序盤

きょうもまた飯能でマウンテンバイク遊びをしてきました。
最近、随分頻繁ですね、元気でいいですね、とSNSでツッコミが入っているけれど、今月は4回目のきょうでおしまいの予定だから、どんなに頑張っても、飯能通いはやっぱり週1ペースが限度かな。

中2日だった前回はそれなりに課題を克服し、スキルアップもできたんですが、また中2日で走った今回の出来栄えは前回とほとんど変わらず。
まあ、ある程度カンが戻って元の状態に近づいたら、トシもトシだし、そうそう右肩上がりに上手くなるわけもないわな。

などと胸の内でつぶやきながら走っていた最中、左回りループの後半、とくに難しくもないポイントで根っ子に乗り上げ、久しぶりに転んでしまった。
この遊びは、いまの僕のようにかつての自信を取り戻して、変に余裕ができてきたころ、こんなふうに何でもないところで転倒し、ケガをしやすいんですよね。

振り返れば、2011年1月31日、五日市のどうってことない下りで派手に転び、前転2回、横転1回半したあげく、右側の鎖骨1本、肋骨5本を骨折したときがそうだった。
あの骨折は痛かったな〜、もう一度やったら絶対に耐えられないよ。

ところで、きょうは左回りループの折り返し地点、立正佼成会による立入禁止の札が立てられた激坂の入口で、やはりソロで来ていたマウンテンバイカーに遭遇。
この坂、上れなくなって残念ですね、という話になり、意外な原因を聞きました。

「オフロードバイクと四駆(※実際の会話では車種の固有名詞)がガンガン入ってきましたからね。
とくに四駆はわれわれが走っている道は走れないんで、沢を走ってきて、この坂を上っていく。

そりゃ、いい加減にしろってことになりますよ。
マウンテンバイクはおとなしく走ってるんだけど、締め出すほうにしてみれば似たようなものなんだろうから」

お馴染み〈麺屋 無尽蔵〉のマイフェバリットメニュー「無尽蔵醤油つけ麺」950円

なるほど、立入禁止の真相はそういうことだったか、と思いながら、下山後は行きつけの〈麺屋 無尽蔵〉へ。
ここには数年前から通っていて、すっかり顔馴染みになっていたのに、名刺を出して自己紹介したのはつい最近。

なぜかと言うと、遊びで来ているときは名刺を持参していないことが多く、何の肩書きもない名刺を渡して「フリーのライターです」と自己紹介しても意味がない、と思っていたため。
とはいえ、いつまで経っても名前すら名乗っていないのも不自然だよな、と自分なりにムズムズしていた矢先、Yahoo!ニュースの公式コメンテーター欄に僕のプロフィールがアップされた。

そこで先週、この画面をスマホでママさんに見せ、ようやく名刺を渡すことができた次第。
さらにきょう、自分が何者かを明かして初めて〈無尽蔵〉を訪ねたら、ここでまた何とも意外な話が飛び出した。

ここのママさんは、かつてプロ野球選手会の事務局長を務めた松原徹さんの親戚だったんです。
松原さんはロッテの一軍や落合博満さんのマネージャーをしていた時代から知っていて、のちにプロ野球選手会の事務局に入られたころには何度も取材させて頂いた。

晩年は膀胱癌を患い、いまの僕と同じ58歳で亡くなるまで、抗癌剤治療によって頭髪の抜けた頭をバンダナで隠して仕事を続けられていました。
2015年9月に他界されると、プロ野球の試合が行われた全6球場で12球団の選手全員が喪章を付けて試合に臨んだほどだから、どれほど人望の厚い方だったかがわかる。

そういう縁があったのだと知っていれば、もっと早く自己紹介しておけばよかった。
世間は狭いですね。


スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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