真夏の墓参

中村稔さんのお墓がある都内の墓地

きょうも東京の最高気温が34.0℃に達した猛暑の中、6月2日に82歳で亡くなった元巨人投手・投手コーチ、中村稔さんのお墓参りに行ってきました。
なお、稔さんの他界については当初、親族の意向でしばらく伏せられていたため、このBlogでもお寺と霊園については匿名としておきます。

稔さんは長らく日刊現代の専属評論家を務めていたことから、僕も在職中に一方ならぬお世話になった。
その古巣の後輩からお墓についての連絡があって、元上司の先輩、稔さんと親交のあった球界OBの方々がすでに墓前で手を合わせている、と聞いたのはきのうのこと。

正直なところ、当初は最近の猛暑に尻込みし、もっとしのぎやすい季節になってからお墓参りに行こうか、と思っていたのですが、どうもゆうべから気分が落ち着かない。
お墓のある霊園は拙宅から電車一本で15分、徒歩を含めても30分もかからないので、きょうの午前中のうちに墓前に足を運ぶことにした。

それにしても、暑かった。
やはり日刊現代の専属評論家、元大洋ホエールズのエースで監督も務めた秋山登さんが僕の在職中(2000年8月12日)に亡くなり、その告別式が行われた日も暑かったことを思い出した。

秋山さんと格別親交の深かった古巣の上司、浦上脩二さんもそれから間もなく他界して、まだ暑さの続く最中に葬儀が行われている。
あの日、秋山さんの奥さんは僕たち日刊現代の関係者に「ごめんなさいね、主人が呼んじゃったのかしら」とあえて明るく話していた。

稔さんの墓前で目を閉じ、手を合わせると、そんな夏の葬儀についての記憶が次から次へと浮かんできた。
猛暑の影響で大汗をかき、軽い頭痛も覚えたけれど、それでも早いうちに行っておいてよかったと思う。

稔さん、改めて、駆け出しのころは大変お世話になりました。
どうぞ、安らかにお眠りください。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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