編集さんととんかつを食べながら🐷

〈かつ吉〉水道橋店の玄関にはこんな豚の像が

きのう28日、最もお世話になった編集さん(正確には元編集さん)が年に一度の会食に指定したのは、東京ドームに程近いとんかつの専門店だった。
若い頃から健啖家で美食家で、次から次へと岩中豚という銘柄の極上ヒレカツ、極上ロースカツを注文しては、1歳年下の僕が追いつけないほどのハイペースで食べる、食べる。

しかし、その合間にビールや焼酎を口に運ぶペースはめっきり落ちた。
僕は編集さんよりもハイペースだったが、それでも40代、50代の頃に比べれば量はかなり減っている。

若い頃の編集さんは、こんなふうにサシ飯、サシ飲みをしながら、原稿を書け、本を作ろう、と僕を叱咤激励するのが常だった。
そうして作った本は、この20年間で10冊以上に上った。

編集さんが数年前に会社を辞められ、そんな声をかけられなくなったことに一抹の寂しさを感じた。
もっと本を書いておくべきだった、いや、今からでも遅くはないか、と思いが過る。

これから先、そんなに長くは生きられないかもしれない、と編集さんは言う。
現役の編集者だった時代、看板雑誌の編集長として辣腕を振るい、一世を風靡した書籍を数多く手がけ、著名な作家たちやライバル会社の編集者たちとも積極的に交際を重ねてきた。

ただ、そうした毎日は面白くて刺激的な半面、非常にストレスフルな生活でもあったから、70歳を過ぎたら平均的な健康年齢よりも早く寿命が訪れるのではないか、というのだ。
僕はそこまで意識したことはなく、63歳の現在も、平均的な状態よりは健康なほうだと思って…いや、やっぱりそうでもないか。

出版業界は相変わらず大変だそうで、かつて僕が寄稿した週刊誌もかなり部数を減らしているという。
もっとも、それは他の雑誌はもちろん、僕が今年1月までお世話になっていた新聞業界も変わらない。

ただ、赤坂さんはもうだいぶ稼いだでしょう、と編集さんは言う。
両親は亡くなったし、ひとり息子できょうだいはいないし、自分が死ぬ時、残るもの(資産)は国に持って行かれるしかないか、と。

あのねえ、あんたとは違って、俺はそんなに持ってないよ。
達川さんにも言われたけど、もう2~3年は頑張って働かないとな。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。2010〜2026年、東京スポーツでコラムや野球記事を連載。 日本文藝家協会会員。Yahoo!ニュース公式コメンテーター。
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