ゴジラ松井の耳たぶは「無花果」、頬は「火山岩」

週刊現代 2002年10月26日号

巨人の新監督に就任した松井秀喜さんに関する昔話を続けます。
彼がFA宣言してメジャーリーグに移籍するかどうか、まだ態度を明らかにしていなかった頃、僕は週刊現代に6ページの短編ノンフィクションを寄稿した。

当時の僕はまだフリーライターではなく、日刊現代の巨人担当を務めるサラリーマン記者。
画像のタイトルからもわかる通り、松井のメジャー挑戦をすっぱ抜くより後押しする内容だった。

この記事は01年のキャンプイン直前、松井が巨人の選手会長就任を受諾するかどうかを描いた場面から始まっている。
前任者の桑田真澄が2年の任期を終了し、次期会長の人選が懸案となっている中、ベテランの川相昌弘が松井の説得を続けている頃だった。

松井の気持ちはどうなのか、キャンプ初日を翌日に控え、チーム全員で宮崎神宮での必勝祈願が行われたこの日、僕は松井にぶら下がった。
きょうの選手会ミーティングで次期会長に推挙されると聞いている、受ける決心はついているのか、という私の問いに、松井はこう答えた。

「いや、何も決まってないよ。
細かいことはまだ何も。

会長になると、会費の管理とかもしなきゃならないからね。
そういう仕事は、奥さんのいる人のほうがいいんじゃないかな」

松井は口にはしなかったが、選手会長受諾を逡巡している最大の理由は他にあった。
今年選手会長になっても、来年はFA資格を取得して、シーズン終了後には巨人を去り、メジャーへはばたくことができるのだ。

10年間、東京ドームのロッカールームで隣同士だった川相は、そんな松井の心中を承知の上で、FAとなる前の2年間、選手会長を務めるよう求めていた。
どう言って説得したのかと聞くと、川相はこう答えている。

「おれも3年間、会長をやってみてわかったんだけど、球界ではそんなことが問題になっているのかと、初めてわかったことがいっぱいあった。
今、球界が危機だと言われている中で、選手会でもいろんな活動をしている時に、ジャイアンツの4番がそんなことは知らん、ということじゃいかんやろう」

こうして松井は選手会長となり、グラウンド外でもチームを引っ張っていくようになる。
そして、アメリカへ去る02年シーズンオフ、自ら時期選手会長に指名したのは、今ヘッドコーチ就任が有力視されている高橋由伸だった。

なお、この週刊現代の拙文に、松井さん自身は不快感を示していたと、人伝に聞いたことがある。
松井にぶら下がり、僕より身長の高い彼が寄せてきた顔を、僕はこう描写した。

「ふっくらとした熟れる前の無花果を思わせる耳たぶ。
ニキビの跡を残す頬は火山岩の表面のようだ。

この天性のスラッガーは、皮膚からして私と同じ人間とは思えない。
しかし、声だけは27歳の若者だった」

「火山岩」という表現は、松井のニックネームだった「ゴジラ」からの連想でもある。
ただ、多感な10代だった頃の松井自身は、この呼び名にも違和感を抱いていたらしい。

ちなみに、僕が松井に「ゾンビ」と言われたのは、この時から24年後のことである。
その経緯については一昨日24日付ブログをお読みください。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。2010〜2026年、東京スポーツでコラムや野球記事を連載。 日本文藝家協会会員。Yahoo!ニュース公式コメンテーター。
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