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いよいよWBC開幕を目前に控えて、ネットでもメディアでも「侍」の文字を見ない日はない。
そのたびに、日本代表が初めて「侍ジャパン」と命名された2009年第2回大会で、果敢な采配を振るった巨人・原監督の証言が思い出される。

「日本代表の監督に就任するに当たり、チームに何か新しい名前をつけてください、と私の方から(加藤)コミッショナーにお願いをしました」

原監督に直接そう聞かされたのは、ジャパンの監督就任が発表されて間もない08年オフ。
雑誌の仕事でインタビューしたときのことだった。

日本代表はそれまで、04年アテネ五輪の長嶋ジャパン、06年第1回WBCの王ジャパン、08年北京五輪の星野ジャパンと監督の名前で呼ばれていた。
原監督も当時巨人でリーグ優勝3回、日本一1回という結果を残しており、「原ジャパン」を名乗っても文句はつかなかったに違いない。

「いや、それはおこがましい。
私にはそれだけの実績がありませんから」

原監督はなぜ、自分の名前を使うことを遠慮したのだろう。
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スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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