34年目のジャイアンツ球場取材⚾️

スマホで撮影すると太陽☀️がウイルス🦠みたいな形に見える?

きょうは巨人の新人合同自主トレ初日で、ジャイアンツ球場へ取材に行ってきました。
毎年、この日は原監督以下、一、二、三軍の首脳陣をはじめ、新人を担当したスカウト陣、広報担当や裏方さんまで、チームスタッフ全員が初めて顔をそろえる貴重な機会。

そこで、メディア各社の担当記者や僕のような一ライターも駆けつけ、今年もよろしくお願いしますと挨拶をする、というのが〝恒例行事〟となっているのです。
ただ、コロナ前はグラウンドで長話に興じることができたのに、現在は感染防止対策のためにわれわれの立ち入りが禁じられているのが残念。

そうした中、きょうは駐車場の片隅で久しぶりに昔馴染みの巨人OBの某氏(個人ブログなのであえて匿名としておきます)に会い、大いに昔話に花を咲かせました。
顔を合わせた途端、「まだひとり(独身)?」と突っ込まれて、「いきなりその話かい」と言い返したら、「そりゃそうだよ、それしかないでしょう」。

…というこの話の先は割愛するとして、某氏は僕より2歳下で、僕が巨人の取材を始めた1988年、初めて個人的関係を築き、食事に行くようになった選手だった。
彼のドラフト同期で同い年の選手に川相昌弘氏がいて、僕の野球記者生活は彼らの友情に支えられてきたと言ってもいい。

…と、懐かしい気分に浸りながら雑談していたら、そこへ今年からファーム総監督に就任した川相氏が登場。
「あれ? 来てたの?」と聞くから、「この間、行くって言っただろ?」と答えたら、某氏がニヤリと笑って、「昔のことはよく覚えてるのに、最近のことはすぐ忘れちゃうんだよな」。

これには、僕も川相総監督もうなずかざるを得なかった。
そうか、お互い20代半ばからの付き合いで、散々バカなこともやったけど、みんなそういうトシになったんだなあ。

ちなみに、ジャイアンツ球場での取材は今年34年目で、僕は来月で59歳になる。
来年は35年目で60歳とキリのいい数字が並ぶけど、そこまでこの仕事を続けたいのかと聞かれると、いまさら意気込むのも気恥ずかしいので、とりあえずボチボチやっていきますわ。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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