母の四十九日法要と納骨

母の骨壺が安置された照蓮寺本堂

きのう(9日)、照蓮寺で母の四十九日法要を行い、納骨を済ませた。
亡くなったのが3月29日なので、四十九日は16日に当たるが、住職と話し合って1週間早めることにした。

遠隔地に住んでいる親戚から、大型連休の最中、我が家の仏壇に線香をあげに行きたいと連絡をもらっていた。
そうすると、僕も東京から帰省する都合上、連休明けの週末に法事を行ったほうが、日程上の無駄がなくなる。

それに、9日の翌日、きょう(10日)は母の日。
お母さんの四十九日法要にはちょうどいいかな、と思ったのである。

午前11時、骨壺が安置された本堂で、住職のお経と講話を聞いた。
30分ほどで終了すると、骨壺を抱えて赤坂家の墓前に向かう。

納骨の前、蓋の内側にマジックで母の名前「邦子」と書く。
壺の中のお骨を見て、もうお母さんがこの世にいないことを改めて実感した。

母の名前が刻まれた墓石

母の名前、没年月日、享年は墓石の後ろ側に彫られた。
4年前に父が亡くなり、名前が墓石の左側に彫られた時、母が「わたしひとりが後になるんは嫌じゃ。お父さんの隣がええ」と言っていたことを思い出す。

母が携帯電話で神戸在住の姉(僕の伯母)に不満を訴えると、「ええやんか、自分で墓を見るわけやないんやから」と諭されていたものだ。
その伯母も、母より1年早く、昨年3月4日に亡くなっている。

花、線香、蝋燭は母と懇意にしていた石材店のAさんに提供していただいた。
すべてが終了したのち、町並み保存地区のレストラン〈tabenomi sumicco〉で住職と食事をしながら、今後のことを話し合った。

来年は母の一周忌、再来年は三回忌に加えて、父の七回忌も控えている。
そのころ、僕自身がどのような生活を送っているかは、まだわからない。

夜は竹原市役所に勤務しているOさんとイタリアン〈トラットリアM〉で会食。
オーナーシェフのMさんも交えて、過疎化、高齢化が積年の課題となっている竹原市の将来について、様々な話を聞かせてもらった。

〈トラットリアM〉で飲んだ龍勢の番外品(左)、ちぬ

一夜明けた今朝、いつものようにポタリングに出かけようとしたら、「おはようございます」と近所のFさんに声をかけられた。
先月1日の葬儀に参列していただいた親戚で、毎朝賀茂川の土手を散歩しているという。

「寂しくなりましたね。
この家はどうされるんですか」

そう聞かれて、お母さんが生前、言っていた言葉を思い出した。

「すぐにめいじゃあいけんよ」

「めぐ」とは「壊す」を意味する広島弁である。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。2010〜2026年、東京スポーツでコラムや野球記事を連載。 日本文藝家協会会員。Yahoo!ニュース公式コメンテーター。
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