飯能でコケまくり🚵‍♂️😖

〈ラーメンとりとん〉イチ推しの塩ラーメン

月曜の夜、新宿で映画を観たあとで、久しぶりにチャリ友カネゴンの〈ラーメンとりとん〉に足を運んだ。
僕が声をかけて集まったチャリ友が、これまた2年ぶりくらいに会うニシヤン、10月に西伊豆で一緒に遊んだ(というより僕がお世話になった)タムニィ。

カネゴンとタムニィは僕が本格的にマウンテンバイクを始めた2005年以来の付き合い。
その後に知り合ったニシヤンとは恐らく、最も多く山で一緒に走った間柄で、多い時は富士見パノラマだけで年に5〜6回は行ったんじゃなかったかな。

そのニシヤンとカネゴンは、コロナ禍やら仕事の都合やら家庭の事情やらで、しばらく山から遠ざかっている。
ほんの4〜5年前までは、仲間内の誰かが何処そこへ行こう! と言い出せば、たちまち参加者が集まったものだが、だんだん呼びかけが間遠になり、気がついたら、もう自転車に乗っていないという〝元チャリ友〟も増えてきた。

ちなみに、カネゴンは僕が多発骨折(鎖骨1本、肋骨5本)を折った2011年1月31日のワンデーツアーに同行していて、自力歩行できなくなった僕の搬送を手伝ってくれたメンバーのひとり。
ニシヤンは、僕が担ぎ込まれた福生市民病院を退院する際、昇降シートの装備された福祉車両で迎えに来てくれた。

そういう大恩ある彼らと、来年こそは飯能でも富士見でも西伊豆でも、また昔のように楽しく走りたい。
と思いながら、チャリ友たちとのささやかな宴会を打ち上げ、きょうもまた飯能へ行ってきました。

右回りループの序盤

きょうは今年最後になる予定だから、個人的課題にしているすべてのポイントをしっかりクリアして終えたかった。
それに関しては、まあまあ、大体合格点だったと思うんだけど、何故か、いままでコケたことのないところで転倒3度。

最初は丸木が横に並べられたラダー状のところで、一部浮いた丸木に車輪を取られてズデーン。
これは大したことなかったんですが、その次に上りの根っ子に乗り上げ、ハンドルの左端が立木にぶつかって右側に倒れたときには、右肘に擦過傷ができた。

こういうアクシデントが序盤に続くと、そこから先はどうしても、いつも以上に慎重になってしまうんだよね。
路面コンディションは良かったし、本当はもっとガンガン攻めたかった。

よし、今年中にもう一回! …はやっぱりやめといたほうがいいかな。
多発骨折した10年前の冬も、やっぱりこういうふうにメンタルが浮わついている最中だったし。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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