NPBへ取材に行った

沖縄から帰京後、しばらく引きこもりを決め込んでいたけど、きょうは1週間ぶりに取材に行ってきました。
1カ月ぶりにブルックスブラザースのスーツ、バーバリのダスターコート、フェンディのマフラー、100円ショップの手袋という正装で足を運んだのは、都内のオフィスビルにあるNPB(一般社団法人・日本野球機構)。

1988年からこの仕事をしているので、昔はNPB(当時はコミッショナー事務局とも言った)には何度かお邪魔しています。
セ・パ両リーグにそれぞれ会長がいて、独立した事務所を構えていた時代もあり、当時はパ広報部長、ドラフト会議の名司会でも知られたパンチョ伊東さんとお茶を飲みながら球界の裏話を聞かせていただきました。

現在の場所にNPBと関連会社が移ってからお訪ねしたのは初めてで、取材の目的は非常にシリアス。
新型コロナウイルスの対策を協議した12球団代表者会議だったから。

オフィスのフロアは数十人の報道陣でごった返し、ちょっとすみません、通してください、という声が飛び交う通勤電車状態。
旧知のNPB広報担当の主任さんが、混乱をきたさず、滞りなく会見を終えられるよう、忙しく立ち働いていました。

約2時間の会議終了後、斉藤コミッショナーが会見に応じ、今後のオープン戦、及びファームの教育リーグ全戦を無観客試合にすること、感染症の専門医を含めた特別対策委員会を立ち上げること、などを発表。
「(コロナウイルス を)抑え込む薬ができるまでは」という言葉がとりわけ印象に残った。

よく考えたら、そうなんだよな。
ワクチンとか予防薬とか、特効薬ができれば、みんなここまで対応に大わらわになることもないんだよな。

また、そうした当面の対応策に伴い、阪神では野村克也さん、中日では高木守道さんの追悼セレモニーが、それぞれ延期となったことも明らかにされた。
すべての取材を終えたころには、顔もスーツの内側も汗でじっとり。

今後は、われわれ報じる側からも罹患者が出てこないか、気になるところ。
仄聞した話では、キャンプ取材から帰社しようとしたら、会社には来なくていいから自宅へ直帰しろ、と指示された記者も少なくないという。

なお、大相撲の大阪場所も無観客になることが確実な雲行き。
3月19日、甲子園で開幕する選抜高校野球の開催については、3月4日の理事会で協議されることになっています。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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