広島県竹原市も西日本豪雨に見舞われた8年前の7月6日夜、僕の両親も家から避難した。
家の前には二級河川の賀茂川が流れていて、豪雨による増水で家が冠水しそうになったため。
どれほど水嵩が増したか、よくわかる画像が残っているので見比べていただきたい。
上が僕がガラケーで撮った画像、下が8年前の今日、7月7日朝、市役所に勤務している知人Oさんが撮って送ってくれた写真である。


ちなみに、父親から避難したという連絡があった7月6日夜、僕は東京ドームの記者席で巨人-広島戦を取材中だった。
試合が終盤の7回に差し掛かっていた夜8時半頃、突然父親からメールが届き、「大雨で避難勧告が出たので、お母さんと人権センターへ避難しました」とある。
慌てて父親の携帯電話にかけると、割と落ち着いた声で「わたしらは大丈夫よ」という返事。
夜に家へ電話をかけてもろうても誰も出られんから、あんたに心配をかけちゃあいけんと思うて(メールを送った)」と冷静に現状を説明してくれた。
この会話を交わした時点で発令されていたのは「避難勧告」だったが、夜9時には一段階上の「避難指示」に変わった。
避難所への移動には自家用車ではなく、タクシーを呼んだという。
避難先の「人権センター」は竹原市役所の近くにある集会所のような建物。
中はプライバシーが守られるよう、段ボールのパーテーションで仕切られていたものの、「落ち着かんし、眠れん」と不満げで、翌7日朝には母親ともども家へ帰っている。
両親が避難所から帰宅して2日目の7月8日朝10時半過ぎ、実家の固定電話にかけたら一向につながらない。
また避難所へトンボ帰りしたかと心配になり、父親のガラケーにかけたら母親が出てきた。
「いま、買い物から帰ってきたところなんよ。
食べるもんがいるけえ、思うてね。
でも、まだ交通が復旧しとらんから、モノが入ってきとらんのよ。
どこへ行っても、売り場がガラ~ンとしとるわ」
母親によると、とくに生鮮食料品はどこの店も品薄状態だという。
このまま物流がストップした状態が続くようだと、「当分は冷凍食品でも食べていかにゃあしょうがないわ」と嘆いていた。
しかし、当時は豪雨のために命を落とした人も少なくない。
とりあえず、両親が無事で何よりだったと、あの時は思った。