久々の荒川自転車道はココが変わっていた🚴‍♂️

きのうは新宿の小守スポーツマッサージ療院で身体をほぐしてもらい、数日ぶりに9時間以上熟睡。
ここ1か月、担当トレーナーのSさんがお休みのため、代わりにHさんにお願いしているんですが、同じ小守専属の方だけあって効果はバッチリ。

一夜明けたきょうは当然身体のコンディションもよく、最高気温19℃とサイクリングをするには夏日より程よい好天。
そこで、例によってロードバイクで荒川河川敷に出ると、いつもの河口ではなく、反対方向の荒川自転車道を目指しました。

こちらへワッパを向けたのは、タムニィのショップ〈戸田橋cycleworks〉に行ったときを除くと、いつ以来か思い出せないほど久しぶり。
恐らく、ゆうに10年ぐらいはご無沙汰していただろう、荒川自転車道の入口まで来たときは、ちょっとした感慨を覚えました。

すっかり広くなった現在の荒川自転車道入口
昔(2005年ごろ)はこんなに狭かった

まず驚いたのは、入口から続く道幅が昔の2倍(以上?)広くなっていたこと。
上の比較画像からも分かるように、以前は逆方向に走る自転車同士が衝突しかねないほど狭かったけれど、そんな危険を気にせず走れるようになりました。

入口から約4㎞地点
2005年ごろ、上の現在よりやや入口寄りの地点
左の自転車はシファックT800H-fiber(のちに秋葉原で盗難)
その先にはまだ工事中のところも

昔、この荒川自転車道には何度も何度も、多い時期には月に2〜3回通っていた。
40代の頃は往復100㎞以上走ることもザラで、当時の体重は60㎏台後半だった。

2006年に古巣の日刊現代を退職したばかりのころは、自転車道の終点の向こう、埼玉県熊谷市まで、往復170㎞走ったこともある。
当時は、これだけ走れるスタミナと脚力があれば、フリーになっても十分食っていけるだろう、と自分勝手な理屈を考え、自分を励ましていたものです。

しかし、その数年後に防災対策のための改修工事が始まり、自転車道の入口が封鎖されてしまった。
それから何度行っても工事中で、土手下の田圃の畦道を走らざるを得ず、しばらく足が遠のいていたから、きょう久しぶりに改修後の自転車道を走れたのはとてもうれしかった。

そんな思い出のある道を含むきょうの走行距離は72.61㎞。
帰宅してからみっちりストレッチをしましたが、明日の脚の張り具合がちょっと心配、かな。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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