【きょう17日アップ!】Number Web『石井琢朗&プロテニスプレーヤーさやか 親子対談インタビュー』⚾️🎾

3月20日の石井さやかプロ転向記者会見(©︎Sports Graphic Number,photo by Yuki Suenaga)

現DeNAチーフ打撃コーチ・石井琢朗さんには、広島カープの内野守備コーチに就任された2013年から大変お世話になっています。
拙著『プロ野球コンバート論』(2013年)でのインタビューに始まり、東スポ連載『赤ペン‼︎』の記事に至るまで、数えきれないほどお話を聞いては記事にしてきました。

しかし、正直なところ、その石井コーチの次女・さやかさんの記事まで書くことになるとは思わなかった。
女子テニスのジュニア部門で頭角を現し、3月20日に医療・ヘルスケア機器会社〈ユニバレオ〉所属の選手としてプロ転向を表明。

会見の模様は当日、東スポWEBにも書きましたが、今回はNumberWebで改めて石井親子に約1時間、対談形式のインタビュー取材を敢行。
さやかさんがプロ転向に踏み切るまでの石井家のファミリー・ストーリーにまとめてみました。

野球とテニス、どちらのファンにとっても、大変興味深い内容になっていると思います。
導入部はこんな感じでスタート。

さやか「20歳か21歳でITF(国際テニス連盟)からWTA(女子テニス協会)に昇格して、世界トップハンドレッドに入りたいなと思います。22歳から24歳のころには、グランドスラムに出場したい。目標は優勝です」

そう意気込みを語るさやかの試合を、父・琢朗は、あまり見る機会がないという。

琢朗「ジュニアの試合はよく見に行きましたが、いつもイライラ、ハラハラして、気が気じゃない。プロになって、成長ぶりがわかるようになったら、また見に行こうかな。家内(詩織夫人)には、『パパが見たらさやかが負けるから見ないで』と言われていますけどね(苦笑)」

照れ臭そうにそう語る琢朗は選手時代、俊足巧打堅守の内野手として活躍し、1998年に横浜の優勝と日本一に貢献した。歴代11位の通算2432安打という記録を打ち立て、プロ野球のレジェンドのひとりと呼ばれている。

琢朗「これからはさやかがレジェンドと呼ばれる番だよ。それぐらいの意気込みで臨んで、また実際にそこまでいかなきゃいけない」

さやか「ジュニアまではお父さんの娘が石井さやかだと言われましたけど、プロになってからは逆に、さやかの父親がプロ野球選手だったと言われるように、頑張ります」

静かな口調で、しかしはっきりとそう語るさやかには、着実にスキルアップしているという自覚と自信がある。

さやか「自分の最大の武器は、とにかく打ち込むことです。その武器を、もっと相手に嫌がられるようにしなきゃいけない。そのために、ただ真っ直ぐ打ち込むだけじゃなくて、これまでと違う戦術、違うパターンで最大限に武器を活かしていく。その練習の成果は、1月の全豪でも出せたんじゃないかな」

さやかは、その全豪オープン女子ジュニア部門でシングルス、ダブルスともにベスト4に進出。シングルス準決勝では逆転負けしたが、確かな手応えも感じたという。

この続きはNumberWebで御一読ください!

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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