【きょう29日アップ!】東スポWEB『平成球界裏面史』2

©︎東京スポーツ新聞社(「球界」と「平成」が逆になってますけど気にしないでください😅)

「巨人はロッテよりも弱い」

平成元年(1989年)の日本シリーズ、巨人が3連敗から4連勝して日本一となった勝因は、この第3戦の勝利投手、近鉄・加藤哲による〝暴言〟にあった、ということになっている。

実際はそこまでズバリと言い切ってはいないが、そう取れる発言は確かにしており、巨人の選手や首脳陣が大いに憤慨していたのは事実だ。
当時、全7戦を取材した私も、「加藤哲なんかにあんな偉そうなことを言われてたまるか」という声をコーチや選手から随分聞いた。

とはいえ、シリーズの流れ自体はもはや3連勝した近鉄のもの。
第4戦の先発は第1戦で完投勝利を挙げたエース阿波野の予定で、近鉄4連勝、巨人4連敗の可能性は非常に高いと見られていた。

しかし、翌日フタを開けてみたら、先発は阿波野ではなく小野。
シーズン終盤に右肘の故障で戦列を離れていた功労者を晴れ舞台のマウンドに上げたいからと、阿波野が先発を譲った、という〝美談〟が残っている。

ところが、である。
20年以上も経った平成23年(2011年)、当時近鉄の投手コーチだった権藤博氏に改めて事の真相を聞いて、私は驚いた。

3連勝した近鉄が4連敗する直前、いったい何があったのか?
この続きは東スポWEBで御一読ください!

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
先頭に戻る