記者のひとりごと『松井秀喜に試練』

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○心斎橋総合法律事務所報『道偕』2003年7月号掲載

6月上旬、寂しい話が海の向こうから伝わってきた。ヤンキースの松井秀喜が「こちらでホームランを打つのは僕にとって難しい」と漏らしたという。

5月7日のマリナーズ戦以来約1ヵ月も本塁打が出ず、打率も下降する一方だった。外角攻めばかりされて左方向へ流す打球が本塁打から遠ざかっている理由だが、彼の考え過ぎる性格も大きいのではないか。

周知のように、松井は巨人時代から慎重に球を見極めるタイプだった。初球に打ちごろの球がきてもまず手を出さない。

「次にもっといい球がくるはずだ」。投手心理を読み、配球を読む。

その過程を楽しんでいる風情さえあった。当時の監督だった長嶋茂雄さんはそれとは全く違ったタイプだっただけに、松井の慎重過ぎるスタイルに不満をもらしたこともあった。

このスタイルは彼の野球人生から導き出されたのは明白だろう。少年時代からスケールの大きな選手だった。簡単には勝負してもらえない。

有名な事件が星稜高校時代に経験した甲子園大会での5打席連続敬遠だ。相手の明徳義塾の監督は松井を歩かすことで勝ちを得ようとした。

これは結果的に成功した。だが、松井は全然動じない。

あの夏の大会を見た人ならはっきりと覚えておられるだろう。ストライクゾーンから明らかに外れた球ばかり投げられたのに、表情を変えない高校3年生がいた。

恐るべき落ち着きようだった。大げさな言い方をすれば、18歳ですでに諦観の境地に達しているのかとも思わせた。

典型的な内省型と言っていいだろう。悩みはすべて自分の中で解決しようとする。

苦悩の深さをだれにも見せようとはしない。それが彼の矜持でもあった。

気になるのが、その根幹となる部分の揺れだ。弱音をもらす選手ではなかった。それが変わってきているようにも映る。

冒頭のせりふにはあきらめも交じった。大リーグのパワーに混乱している。長い目で見たい。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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