プロ野球の主役は選手かファンか⚾️

きょうも入場者数の上限近くまで埋まったハマスタのスタンド

最近、朝食を食べながらNHK-BSのメジャーリーグ中継を観ていると、コロナ禍が去ってふだんの日常が戻ってきたのではないかと、ふと勘違いしそうになることがある。
原因は、アメリカの球場にはお客さんが入っていて、ごく普通に試合が行われているように見えるからだ。

もちろん、実際にはそんなことはない。
エンジェルスのアナハイム、パドレスのペトコパーク、ドジャースのドジャースタジアムなど、カリフォルニアの球場に入場できるのは地元の州民だけで、人数も制限されており、スタンドでもソーシャルディスタンスを保つよう定められている。

しかし、つい先日、大谷翔平が投打に大活躍を見せたレンジャースのグローブライフ・フィールドはテキサス州にあるので人数の上限がない。
しかも、打席の真後ろにバースタイルの客席があり、お客さんがビールを飲みながら和気あいあいと観戦している。

こういう光景にすっかり目が慣れて、日本でも有観客の試合を何度か取材すると、もう無観客の球場には行きたくない、と思ってしまう。
それでも昨年までは、気持ちが萎えたらおしまいだと自分に言い聞かせ、お客さんがいなくても、何か楽しむ手立てを見つけよう、それを仕事やBlogのネタにしようと頑張った。

例えば、神宮のヤクルト-広島戦を取材した昨年7月1日付Blogには、ネット裏スタンドの〝臨時記者席〟で懸命に自分を鼓舞している当時の自分の気持ちがよく表れている。
こんなことでも書きながら試合を観ていないと、もう野球そのものに興味を持てなくなりそうだったのだ。

ついでに書いておくと、この神宮通いの最中は大変な暑さで、汗だくだくで自宅に帰り着いた直後、立ちくらみを起こして視界がかすみ、すわ脳梗塞かと、慌てて左手を握ったり開いたりして身体の反応を確かめたりしていた。
このときばかりは、コロナ禍が確かに人間から前向きに生きる意欲を奪いつつあることを実感したものである。

やっぱり、プロスポーツの選手はお客さんに見られてナンボ、だと思う。
僕が本に書いた川相昌弘のバントも、原辰徳の見逃し三振も、田代富雄のホームランも、糸井嘉男のジャンピングキャッチも、そのたびにスタンドのお客さんが歓声を上げたり、溜め息をついたり、球場全体で喜怒哀楽を剥き出しにして反応してくれたからこそ、彼らのワンプレー、一挙手一投足が輝いて見えたのだ。

日々かまびすしい東京オリンピック開催に関する議論の中で、よく「主役は選手・アスリートだから」という声を聞く。
しかし、選手を主役にするのは、試合が行われる会場で彼らを見つめるお客さんであり、テレビの前にいるファンだろう。

とりわけプロスポーツにおいては、観る者がいてこそ、初めて選手のプレーは輝き、試合は結果以上の意味を持ち、ときには観る者の人生に決定的な影響を与え得る。
選手を主役にするのは、彼らを観ているファンなのだ。

というわけで、GWの前半は無観客の東京ドームではなく、お客さんのいるハマスタに通う予定にしている。
しかし、きょうもまた大阪の感染者数は連日1000人を超え、日本ハムでも選手3人の感染が発覚しており、プロ野球界も今後、感染拡大防止に向けて、より一層の努力を迫られるだろう。

野球ファンでない人たちは、こういうときに野球を観に行っている人々に非難の声を浴びせるかもしれない。
その当否は別として、この状況下でも球場に足を運んでくれるファンのために、選手にはいいプレーを見せてほしいと思う。

今夜、ハマスタに集まった観衆は13105人。
その半分以上を占める地元のファンに、ベイスターズは勝ちゲームを見せられなかった。

これで本拠地では16試合を消化して1勝12敗3引き分け。
早く地元のファンに2勝目を見せてもらいたい。

ハマスタの試合も、いつまた無観客にせざるを得なくなるか、わからないのだから。
ちなみに、僕は今季、ベイスターズの勝ちゲームを1試合も観ていない。

ヤクルトに負けてスタンドに一礼するベイスターズ一同
スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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