朝は母に電話して📱、夕方は病院へお見舞いに🏥

近所の河津桜はそろそろ葉桜に

きのうはオープン戦取材の忙しさにまぎれて、ついうっかり竹原の施設(グループホーム)にいる母親へ電話するのを忘れてしまった。
母は3年ぐらい前から認知症の症状が出始めており、息子の声を忘れられたら困るので、少しでも進行を食い止めるべく、どんなに短くても一日に一度は電話で会話を交わすようにしているのです。

幸い、最近は声に張りがあり、食事もすべて完食していて、毎日NHKの連ドラ『ブギウギ』を観ては「面白いわあ」と、こんな感想を語っている。
「ありゃあ(ヒロインのモデルは)笠置シヅ子じゃろ、ウチらの時代の歌手じゃもん、すぐにわかったよ」

ところが、大好きなはずのプロ野球については毎日のように「公式戦始まった?」と聞いてくるので、そのたびに「3月29日からだって」と答えなきゃならない。
時折、「やっぱり、だんだん頭がバカになりょうるのは仕方ないわ」と言われて、息子としては返答に詰まることもある今日この頃。

そんなことを思い返しながら、朝10時半過ぎに母に電話したら、今日のところはそこそこまともな会話を交わすことができました。
明日はまたオープン戦の取材に行くけど、母への電話を忘れないようにしよう。

午後は某大学病院へ、昨年10月から長期入院しているお医者さんのお見舞い。
長年、僕と巨人の某コーチとともに大変お世話になっている方で、面会が可能になった2月以降、お会いできたのはきょうで2度目でした。

前回はベッドに寝たままで会話をしたけれど、今回はベッドに腰掛け、見舞い品のお菓子をバリバリ食べながら、僕が話すキャンプ地での土産話に耳を傾けてもらった。
僕が持参した見舞品は、そのキャンプ地で各球団からいただいてきた報道陣用の帽子が5個。

ちなみに、この先生と僕の母親はともに80代半ばの同世代。
病院からの帰途、俺もあと20年経ったらあんなふうに認知症が始まるんだろうか、そのときになって後悔しないような生き方をしないとな、などと思いながら、神保町の古書店ビブリオでルー・ブロックの自伝を買って帰ってきました。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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