年賀状は続けたいな、と考えたワケ

我が母校のタスキをかけている神楽坂のコボちゃん

きょう、箱根駅伝の往路で我が母校・法政が7位でゴールし、復路で総合10位以内に入れば2年連続でシード権を獲得できる可能性が高まってきた。
地元神楽坂では観光名所のコボちゃん像に法政のタスキをかけて応援しているだけに、明日の復路も大いに期待したい。

きのうのニューイヤー駅伝では広島勢の中電工が8位と健闘し、このところ低迷している中国電力も36チーム中17位と、それなりの粘りを見せた。
僕の父親は中国電力、僕は法政のOBなので、去年までなら実家の50インチのテレビの前で一緒に声援を送ったりツッコミを入れたりしながら観戦していたものです。

その父親が昨年9月に亡くなったため、実家の両親、東京在住の僕宛に毎年年賀状いただいている方々には、僕の名前で喪中の葉書を出しました。
ただ、喪中のこちらに先方が年賀の挨拶をすることは必ずしも失礼に当たらないそうで、今年も年賀状をくださった方も少しいらっしゃいます(ほぼ例外なく僕と同じ昭和世代)。

最近は、高齢化によって年賀状をやめる人に加え、SNSやメールで年始の挨拶をしているからと、年賀状を書かない若い人も増えている。
そういう時代だからか、喪中と知っていても年賀状を寄越してくれた人の気持ちが、枚数が少ないぶん、かえって例年以上に心に染みるような気がしました。

しかし、Twitter、Facebook、Instagram、LINE、メールによる年始の挨拶の数は例年と変わらず。
そういう方々とは以前から年賀状のやり取りをしておらず、喪中の葉書も出していないので、僕の父親が亡くなったことを知らない人たちばかり。

去年までなら「あけましておめでとうございます」とメッセージが来たら同じ言葉を返していたけれど、さすがに喪中の身で「おめでとうございます」と書くことは憚られる。
かと言ってスルーするわけにもいかないから、「新年のご挨拶ありがとうございます」と返事をしています。

年賀状はSNSやメールで代わりが効くけれど、喪中欠礼はやはり葉書でお知らせするべきものでしょう。
ガラケーを愛用している母親の元には、しばらくご無沙汰している友人や親戚からお悔やみの連絡があり、昔話に花を咲かせたりもしたそうです。

ちなみに、父親は87歳まで毎年パソコンとプリンタで自家製の年賀状を作っていました。
母親が喜んだ昔馴染みからの電話は、そんな父親のささやかな置き土産だったのかもしれません。

というわけで、僕も来年以降、まだしばらくは年賀状を続けようと思っています。
数は年々減るだろうけど、葉書には葉書の良さがある、と感じている人たちとのつながりは大切にしたいから。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
先頭に戻る