『燃える闘魂 ラストスタンド 最後の闘い〜アントニオ猪木 病床からのメッセージ〜』(NHK-BSP)🤔

80分 初放送:2021年11月27日午後8時30分〜9時59分 制作・著作:NHK、共同テレビジョン

かつてのアントニオ猪木ファンとして、大変複雑な思いを抱きながら観た。
難病を患った猪木の映像はYouTubeの公式チャンネルで観てはいたが、それでもこうしてじっくり撮られたインタビューや動画の数々は、いくら猪木が明るく振る舞おうとしても、やはりあまりにも痛々しく感じられてならなかった。

この番組のことはNHK-BSプレミアムで放送される10日前、11月19日付の東スポに掲載された連載記事『鈴木ひろ子の「レスラー妻放浪記 明るい未来」8』を読んで知った。
鈴木ひろ子氏は千葉県議で、この番組を制作した共同テレビジョンのプロデューサー鈴木健三の妻でもあり、健三氏はもともと猪木事務所に所属するプロレスラー(リングネーム:KENSO)だったという。

本作では、これまで断片的な情報や動画しか報じられてこなかった78歳の猪木の病状、闘病の様子などが詳しく描かれている。
猪木の身体に変調が現れたのは2020年の暮れ、青森・蔦温泉で療養していた最中のことだった。

突然、腰に激痛を感じ、ほとんど昏倒した状態で青森慈恵会病院に緊急搬送され、腰椎の隙間に細菌が入ったことによる敗血症、及び呼吸不全と診断された。
翌年3月、千葉のリハビリ専門病院に転院し、いったん退院して快方に向かったかと思われたのも束の間、同年5月、盲腸捻転で再入院。

最終的に下された診断は「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」。
アミロイドという物質が心臓から全身に溜まって血液循環が悪くなり、身体をまともに動かせなくなってしまう難病で、現在の猪木は自力歩行もできない状態だ。

そうした闘病の合間に、かつての猪木が青いリング(古舘伊知郎曰く「戦いの大海原」)で演じたファイトの映像が挟まり、ゆかりのある人物たちがインタビューに応じて猪木との思い出を語る。
最も繰り返し挿入される映像は、1996年1月4日、東京ドームでのビッグバン・ベイダー戦で、僕もリングサイドで猪木の受けの凄まじさに圧倒されたが、棚橋弘至も「うわあ、猪木死んだ」と思ったそうだ。

新日本プロレス旗揚げ当初からの一番弟子だった藤波辰爾と伽織夫人をはじめ、テレビ朝日『ワールドプロレスリング』の実況アナだった古舘、『私、プロレスの味方です』を著した作家・村松友視、リングドクターだった富家孝、猪木を30年以上撮り続けたカメラマン・原悦生も登場。
元東スポのプロレス担当記者で、『ワールドプロレスリング』の解説も務めた柴田惣一が入社3年目のとき、岡山駅でバッタリ会った猪木を全日本の興行が行われる岡山武道館大会に連れて行ったら、猪木がこっそり馬場に借金の申し込みをしていた、という逸話が面白い。

また、かつてUWFインターナショナルの仕掛人だった宮戸優光が、いまではファンを集めた〈猪木を囲む会〉を主宰しており、定例会でファンとともにリモートで猪木と対面する場面には、まざまざと時の移り変わりを感じた。
猪木がしばらく前に写真家の田鶴子(通称ズッコ)夫人と結婚していて、僅か2年半の結婚生活ののち、2019年に62歳の妻に先立たれていたということも初めて知った。

猪木ファンだった人なら、観始めたら最後まで観ないではいられないだろう。
ただ、観てよかったと思えるかどうかは人それぞれだと思う。

オススメ度B。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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