久しぶりに東京六大学の空気を感じた日⚾️

午後3時半ごろ、東京六大学の試合終了後、帰途につくお客さん

きょう、神宮で行われたヤクルト-DeNA戦は土曜にもかかわらず、プロ野球5試合の中で唯一のナイター。
朝10時から東京六大学・春季リーグの立大-明大、東大-法大の2試合が行われたため、試合開始時間が夕方5時半に設定されていたのです。

ここにもコロナ禍の影響があって、当初の日程では6時開始だったのが、緊急事態宣言の発出を受けて30分前倒し。
東京六大学の試合終了後、30分経過するまでは、われわれプロ野球を取材する記者は記者席に入ることも、スタンドに上がることもできない。

コロナ前ならスタンドへの出入りは自由、第2試合の七回終了後はわれわれも記者席に入ることができた。
プロの試合を取材する前、その年のドラフトにかかりそうな選手のプレーをチェックし、アマ担当記者やプロのスカウトと雑談しながら情報を集めたものだが、いまはそういうネタの仕込みもままならない。

とくに、きょうの第2試合はわが母校の試合だっただけに、じっくりと生観戦したかったところである。
東大の先発投手・井澤がよかったのか、法大の打線が無策だったのか、七回まで1-2とリードされていた間は、正直ヒヤヒヤしたけれど、ここから同点に追いつき、八回に一挙7点で引っ繰り返してくれた。

もっとも、逆転される間、何度か中継カメラにピンで抜かれた東大・井手監督の険しい表情を見ると、手放しで喜ぶ気にもなれなかった。
現役時代は東大のエースとして4勝をマーク、ドラフト制後では初の東大卒選手としてプロの中日に入団し、指導者やフロントの要職も務めた77歳の老将が、母校の監督として1勝を挙げられるのはいつの日か。

などと考えていたら、東大野球部御用達の店として知られるもんじゃ焼き屋〈谷中よし川〉のご主人とバッタリ。
2-1のまま東大が勝ったら、試合後に関係者の方々に挨拶しようかと思っていたそうですが、思わぬ大逆転負けに早々と球場を後にされました。

ちなみに、お店のほうは昨年暮れからご無沙汰していて、現在は緊急事態宣言のために休業中。
早く昔のように気軽に飲みに行ける世の中に戻ってほしいものです。

記者席では、久しぶりに某スポーツ紙の先輩記者に会い、DeNAの牧について中大時代の評判を拝聴。
「大学時代から変化球打ちには定評があったから、プロでも十分対応できるだろうとは思ってたけど、内角の球をあれほどしっかりミートできるとは予想していなかった」そうです。

僕が六大学の取材でこの先輩記者とよく顔を合わせていたのは、日本ハム・斎藤佑樹が早大にいた2007年ごろのこと。
当時はフリーになったばかりで、おれの人生、これからどうなることかと思ったけれど、気がついたらもう15年も経っている。

試合前メシは球場内のかき揚げうどん650円
試合前の記念写真サービス、お母さんは電光掲示板を撮るのに必死
きょうから使い始めた真っ新のスコアブック

さて、5時30分にプロの試合は元創価大のヤクルト・小川、元神奈川大のDeNA・浜口と、奇しくも大学出身同士の投手戦となった。
結果は8回100球の小川が7回94球の浜口に投げ勝ち、西浦のソロ本塁打1本のみで1-0としたヤクルトの勝ち。

試合後のヒーローインタビューでは、西浦さんの一発で勝てると思ったかと聞かれた小川が、「1点で勝とうと思ったら(投球が)守りに入ってしまうので、いままで通り、自分の投球に集中していきました」。
その直後、1点で勝てるという思いはあったかと振られた西浦が、「(思いは)ありました」とキッパリ。

これでヤクルトは勝ち越して交流戦に入ることが決定。
小川は、セ・リーグより強いパ・リーグのチームを相手にしても、「1球1球、勇気を持って腕を振っていきたい」とインタビューを締め括っていました。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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