宮崎には来たけれど🌴

羽田空港の出発ロビーは閑散

きょう、11時50分羽田発のJAL便で宮崎へ飛んだ。
宮崎へは例年、ANA便で移動しているのだが、今年はコロナ禍で欠航が多く、格安運賃の便もほとんど売り切れ。

それならとJALに切り替え、どうせガラガラだろうとたかをくくっていたら、案に相違してメチャ混み、激密状態。
何故かというと、西都キャンプを行うヤクルトの二軍、南郷キャンプを行う西武の一部一軍選手、元選手の巨人関係者の方々などが大挙して乗り込んできたから。

しかし、そうした球界関係者、われわれのようなマスコミ関係者は全員、PCR検査を受けたばかりの状態。
だからかえって安全と言えなくもないと思うんだけど、違うかな?

それはともかく、A先生にとって乗り合わせた関係者は旧知の人たちが多い。
ヤクルトの尾花、緒方、土橋各二軍コーチなどには丁重にご挨拶してしばし昔話や雑談となりました。

緒方コーチ「そう言えば、まだ自転車乗ってるの?」

私「うん。いまは寒いからサボってるけど、もう少し暖かくなったら、週に一度くらいはロードかマウンテンで」

緒方コーチ「何㎞ぐらい走るの? 20㎞ぐらい?」

私「いや、ロードだったら50㎞はいくよ」

緒方コーチ「ええ~、そんなに? 俺も車じゃ走ってるけどなあ、家から戸田(二軍本拠地)までは遠いから」

伊豆半島上空を通過中
宮崎空港到着後、西都へ移動するヤクルト二軍首脳陣

宮崎に着いてみたら、こちらは気温14℃のポカポカ陽気。
やっぱり宮崎は暖かくていいなあ、と思いながら、宮交バスで市内へ向かい、ホテルの前まで来たらこんな彫像が。

こんなことして、作者が怒ったりしないのかな
スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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