『男はつらいよ お帰り 寅さん』(WOWOW)🤨

116分 2019年 松竹

このシリーズはテレビとビデオでしか観たことがないのだが、好きなことは好きで、初期の3作品『男はつらいよ』『続・男はつらいよ』(1969年)、『男はつらいよ フーテンの寅』(1970年)はDVDを買って繰り返し鑑賞している。
主演の渥美清が1996年に没して23年後、シリーズ作品としては22年ぶり、第1作から50年目に製作された本作は大変評判がよく、劇場公開時に見逃がしたときは激しく後悔した。

だから、コロナ禍で何かと気が塞ぎがちな日々が続いていることもあり、年明けの1月2日、本作がWOWOWで初放送されると飛びつくようにして観た。
昭和時代から連綿と続く松竹の名物シリーズに、改めて感動したい、腹の底から笑って、最後は気持ちの良い涙を流したい、と思いながら。

確かにいい映画だった。
が、最初に覚えた違和感が、そのうち消えるだろうと思っていたら最後までつきまとい、素直に感動できなかったのも確かだった。

オープニングに桑田佳祐が登場し、タイトルクレジットに合わせて主題歌を唄う出だしは、ツカミとしてはバッチリ。
これなら、ホノボノ、シミジミ、ジンワリと良い気分にさせてくれそうだと、かなり期待させてくれる。

ところが、本筋に入り、主人公の満男(吉岡秀隆)が出てくると、途端に雰囲気が重く、暗くなって、おや、これはあの明るい寅さんの世界じゃないぞ、と感じないではいられない。
満男は脱サラして小説家を目指し、出版されたばかりの新作単行本が好評を博しながらも、筆一本で食べていけるかどうかという不安を抱えている。

満男の妻は6年前に他界しており、一人娘・ユリ(桜田ひより)とともに、両親である博(前田吟)、さくら(倍賞千恵子)の実家で営まれる七回忌に、〈くるまや〉の面々が集まる。
かつての寅さんファンが懐かしさを感じるだろう最初の見せ場で、さくらに再婚を勧められた満男が、幼馴染の朱美(美保純)と口喧嘩を始めるくだりがシンミリ、クスリとさせられる。

しかし、満男の表情は終始暗いまま、時折瞳がギョロギョロと動くあたりは何か病的にも感じられて、こちらを久しぶりに「寅さん」の映画を観ているという気分にさせてくれない。
ただし、これは吉岡ひとりの責任ではなく、監督・原作の山田洋次による設定に如何ともし難い無理があったからだと思う。

寅さんを演じる渥美清は1996年に亡くなっており、その前提を踏まえた上で山田は本作のシナリオを書き、寅さんの家族を演じる前田、倍賞、吉岡も演技をしている。
ところが、作品世界の中では寅さんはいつものように旅に出て、まだ生きていることになっていて、実家を切り盛りしている妹のさくらは、「お兄ちゃんがいつ帰ってきてもいいようにしてるのよ」と当然のように言うのだ。

ここに浮かび上がるのは、すでに死んでいる寅さんを、死んでいることがわかっていながら、あえて生きていることにしておこう、という約束事の上で成り立っている家族の不自然さである。
寅さんが生きているのなら、少なくともそう家族が信じているのなら、博が「兄さん、いまごろどこで何をやってんのかなあ」と思いを馳せ、さくらが「お兄ちゃんなら大丈夫よ」と言い返す場面のひとつもなければおかしい。

とはいえ、渥美清が亡くなって22年も経って、いまさらそんな場面を作ったら、かえって嘘臭くなる、という以上に観客がドン引きするだろう。
こうして、この映画は、観客に対しても「寅さんはずっと生きていることにしましょう」と語りかけているかのような印象を与える作品となった。

それで良いと思うか、いや、それは違うんじゃないか、と思うのか。
僕自身は後者の気分を拭い切れなかった、というのが正直なところである。

オススメ度C。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
先頭に戻る