吉見一起の五回途中降板に時の流れを感じる⚾️

きょうもradikoでニッポン放送の実況中継を聴きながら観戦

長い間この仕事をやっていると、インタビューしたことも特別な思い入れもないが、何故か記憶に引っかかっている選手が何人かいる。
きょう、ハマスタのDeNA戦に先発した中日・吉見もそんなひとり。

吉見は、僕が日刊現代を退職した2006年のちょうどいまごろデビューした。
登板2試合目だったあの年の9月18日、所も同じハマスタの横浜戦で初先発し、5回2失点でプロ初勝利を挙げている。

当時、中日の正捕手は元横浜の日本一メンバー・谷繁で、吉見の初登板、初勝利の試合でも、もちろん先発マスクをかぶって投球を受けていた。
吉見はその後、2009年に16勝をマークして最多勝のタイトルを獲得し、2011年には最多勝(18勝)、最優秀防御率(1.65)、最高勝率(.857)の3冠に輝いて名実ともに中日のエースに成長。

僕はそのころ、吉見に直接取材していないのだが、捕手の谷繁、選手からコーチになった川相に話を聞き、『キャッチャーという人生』(2009年/講談社)、『プロ野球二軍監督 男たちの誇り』(2011年/同)というノンフィクションを書いている。
当然、彼らの話の端々に吉見の名前が出てくるので、登板を追いかけてチェックするほどではないが、たまたま取材に出かけた試合、もしくはテレビ画面に映った試合に吉見が出てくると、何となく気にして見ていたものだ。

だから、きょうは7月4日の巨人戦以来、久しぶりに吉見の投球が見られることを楽しみにしていた。
球速はいまや130㎞台がせいぜいで、初回にソトに打たれたホームランは、文字通りピンポン球のように左翼席上段へ飛んでいった。

それでも、得点圏に走者を背負いながら、3-2と1点のリードを守っていた五回、先頭の梶谷にライト線を破る二塁打を打たれるも、続くオースティンをサードライナーに打ち取った直後。
勝ち投手の権利を得るまで、あとアウト2つというところで、吉見は降板となった。

五回途中、マウンドを降りる吉見(左)

「仕方がないでしょう。
こういうところでベンチが出てくるということは、いまの吉見にはそれだけ信用がないんですよ」

淡々とそう解説していたのは、この日のニッポン放送解説者で、かつて吉見の球を受けていた谷繁氏。
ちなみに、谷繁氏は吉見が記録した通算90勝の勝ち星のうち、58勝を挙げた試合でバッテリーを組んでいる。

今夜の吉見がかつての吉見ではないことを、最もはっきりと感じ取っていたのも谷繁氏だったに違いない。
マウンドを降りた吉見本人は、広報を通じてこうコメントしている。

「きょうは久しぶりの先発だったので、いまを大切にすること、それと、(DeNA先発の)大貫くんがドラゴンズに連勝している(3戦2勝)しているので、彼に黒星をつけられるように、という2つのテーマを持って投げました。
久しぶりに楽しく投げられたので、また次の試合も頑張ります」

吉見は今季、1勝した試合でも5回まで、2敗した試合では4回で下げられており、与田監督の信頼度は極めて低い。
かつての輝きを失ったいまも、年俸は推定9000万円。

ドラ番記者の間では早くも、シーズンオフの処遇と去就が注目される選手のひとりと目されている。
吉見の次回の投球に注目したい。


スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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