東京スポーツ『球界平成裏面史10/落合・清原移籍騒動の巻②』

平成8年(1996年)11月、巨人はFA宣言した清原の獲得に動き、落合解雇の方針を固めていることが露見する。
激怒した落合は信子夫人、長男、愛犬を連れて静岡県・川根町の温泉にある知人宅に身を寄せた。

そして、同行したスポーツ紙の担当記者に舌鋒鋭く球団批判を展開。
一連の発言が連日スポーツ紙の1面を飾り、巨人フロントと落合の間は抜き差しならない事態に発展した。

落合の主張を伝える日刊スポーツ:1996年11月17日付1面

そんな落合を気遣ってか、長嶋監督は2度落合に電話し、留守電にメッセージを吹き込むが、落合はコールバックしようとしない。
両者が膠着状態に入った中で、清原も巨人の姿勢に不信感を抱き、阪神から熱烈なラブコールを受けて揺れ始める。

ここで長嶋監督が自ら交渉に乗り出すことを決意。
系列紙の報知新聞には、永久欠番となっている自分の現役時代の背番号3を譲ってもいいと打ち明けた。

長嶋監督の激白を報じた報知新聞:1996年11月17日付1面

こうして、巨人が清原獲得に成功すると、渡辺・読売新聞社社長が落合に対して怒りを爆発させた。
川根町での球団批判を「余計なお世話だ」と一刀両断、「取り消してもらわなければならん」と謝罪を要求したのである。
(文中敬称略)

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スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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