3連敗4連勝は二度起こらない

六回2死一塁で代打・阿部が登場すると、この日一番の大歓声が巻き起こった

「きょうでおしまいですかね…」

午後1時半過ぎに東京ドームを訪れると、顔見知りのマスコミ関係者たちが挨拶代わりにそんな言葉を交わしていた。
思わず吹き出したのは、関係者食堂でプロ野球OBの解説者たちとお茶していたときの会話。

明日以降に解説する予定のA氏が、きょう解説するB氏に「きょうで決めないでくださいよ! ボクの仕事がなくなっちゃうんだから」。
その傍らで、「あのねえ、ボクの解説は第7戦なんですよ」とC氏が苦笑い。

そこでぼくが、「こりゃ、誰が持ってるかって話だな」とツッコミを入れると、みなさん爆笑。
これに一番ベテランのB氏が答えて、「オレ、持ってるからなあ」(結果的にはその通りになりました)。

このとき、巨人が近鉄(現在はオリックスに吸収合併)を破って日本一になった1989年の日本シリーズが話題に上った。
前日の夜からネットで話題になり、今朝のスポーツ紙も引き合いに出していたように、巨人が3連敗から4連勝した伝説のシリーズである。

きょう雑談していた解説者C氏は、当時巨人の選手としてプレーしていた。
また、ぼくはあのシリーズを第1戦から7戦まで、巨人担当記者としてすべて取材している。

巷間、あのシリーズでは、第3戦の勝利投手となった近鉄・加藤哲郎の「ロッテより弱い」発言が巨人4連勝のきっかけになったと言われている。
ただし、加藤発言の内容がかなり誇張して伝えられているのも確かだ。

改めてあの日のロッカールームの様子を再現してくれたC氏の話は非常に具体的で、ついきのうのことのような臨場感があった。
まあ、個人的には何度も何度も聞いてるんですけどね、昔から。

一方、当時のぼくは近鉄の仰木彬監督、権藤博投手コーチにも可愛がってもらっていて、近鉄サイドにおける〝3連勝4連敗〟の真相も聞いている。
権藤コーチがエースで第1戦の勝利投手・阿波野秀幸を第4戦に先発させようと考えていたところ、仰木監督は89年に4年目でプロ初勝利を挙げたばかりの池上誠一を先発させようと主張。

シーズン中から関係が悪化していた仰木監督、権藤コーチが真っ向からぶつかり、結局、第4戦の朝まで誰を先発させるか決まらず。
この首脳陣の深刻な亀裂がチーム内にも影響を及ぼし、第4戦以降の4連敗を招いたのだった。

この詳細はSports Graphic Number 790(文藝春秋、2011年11月27日発売)に寄稿した拙文『10.19 仰木彬が名将になった日』に書いている。
いまのソフトバンクの工藤公康監督、森浩之ヘッドコーチ、倉野信次投手コーチの間に、そんな齟齬や対立の生じる余地はまったくなかった。

89年の3連敗4連勝ほど劇的でダイナミックな大逆転劇は、そうそう起こるものではない。
89年と今年の日本シリーズを両方とも体験した当事者、もしくは取材した記者なら、誰もが最初からわかっていたことだと思う。

巨人がポストシーズンで窮地に陥るたび、相手チームに加藤哲郎のようなヤツが出てこないかなあ、とSNSに書き込む巨人ファンは後を絶たない。
しかし、現実はそんなに甘いものではないのだ。

今後、巨人の置かれた立場はもっと厳しくなるだろう。
この秋季キャンプから加入する予定の新コーチがどう立て直すか、来季の興味の焦点であります。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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