いまこそ原マジックを見たい

試合開始前の国歌斉唱

きょう、東京ドームでの第3戦より、今年初めての日本シリーズ現場取材である。
ここを訪ねたのは今月13日、セ・リーグCS(クライマックスシリーズ)ファイナルステージで巨人が阪神をくだし、この日本シリーズ進出を決めて以来9日ぶり。

日本シリーズは例年、どの球場でどういう組み合わせになっても第1戦から現場へ行くのだが、今年は久しぶりに取材をスルーした。
第2戦と同じ20日にラグビーW杯準々決勝・日本-南アフリカ戦が行われたのに加えて、きょう22日が即位の礼で祭日になり、東スポが発行されず、連載コラム『赤ペン!!』も1回飛んじゃったから。

試合前、久しぶりに会った巨人関係者によると、初戦から2連敗したにもかかわらず、チームの士気は決して下がっていないという。
まあ、意気消沈していたとしてもそうは言わないだろうが、今年はシーズン中から原監督が全体ミーティングで「わが軍の目標は常にひとつ、優勝すること」とチーム全員を鼓舞してきたことが大きいのだそうだ。

巨人のミーティングには、元選手の球団フロント職員もGIANTSのロゴが入ったチーム用のジャンパーを着用して参加。
原監督はそうした職員も発言を求めて、いつもハキハキと前向きに物を言う姿勢を徹底するよう指導しているという。

こういう演出は原監督でなければできない。
かつては球団職員にまで「グータッチをするときはおれの目を真っ直ぐ見ろ」と話したり、試合前に選手、コーチ全員が輪になって手をつなぎ、「わが軍はひとつだ」と言い聞かせたり。

もっと遡れば、原監督は就任1年目の2002年、「巨人軍愛」「ジャイアンツ愛」という言葉を連呼。
前監督の長嶋さんが辞めたばかりで、巨人ファンが〝ミスタープロ野球ロス〟の喪失感のただ中にあり、何が「ジャイアンツ愛」だと冷ややかに受け止める大人のファンも少なくない中、「チームを強くするのは愛だ」と訴え続けた。

そういう原監督の姿に、17年前のぼくは確かに共鳴するものを感じた。
毎日取材していても飽きることがないほど、あのころの巨人は面白かった。

個人的にも原監督の原稿をたくさん書き、本(『ジャイアンツ愛 原辰徳の光と闇』2003年、講談社)まで出した。
当時、ぼくの一記者の範疇にとどまらない勝手な執筆に理解を示してくれた原さんには、いまでも感謝している。

巨人関係者にミーティングの様子を聞いていて、ふと、そんな2002年の原巨人の雰囲気を思い出した。
ちなみに、その年の日本シリーズは西武を相手に初戦から4連勝。

それから17年後の今年、この日本シリーズはもう後がなくなった。
いまこそ、昔の原マジックを見たいと、個人的には思う。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
先頭に戻る