『変身』フランツ・カフカ

Die Verwandlung
新潮社 新潮文庫 137ページ 翻訳:高橋義孝 定価320円=税別
発行:1952年7月28日 107刷改版:2011年4月30日 119刷:2019年6月5日
原著発行:1915年

「ある朝、グレーゴル・ザムサがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した」
(原文ママ)

この不条理文学の傑作を最初から最後まで通読したことは一度もないのに、この世界文学史上に残る有名な書き出しだけは知っていて、いつの間にか小説そのものも読んだ気になっている、という人はさぞかし多いのではないだろうか。
ほかならぬぼくもそのひとりだった。

今夏、この作品が〈新潮文庫の100冊〉の帯をつけられて三省堂の棚に平積みされている(100冊に選ばれたのは今年で何度目だろう?)のを見て、そろそろきちんと読んでおかなきゃな、と一念発起。
何度も行きつ戻りつしながら熟読し、これは想像以上に奇怪で理解しがたい作品であることを思い知った。

よく引用されている本作の書き出しは、「虫」を「毒虫」と訳している文章も多かったため、長い間、ケムシかイモムシのような形状をしているのではないかと思い込んでいた。
が、本書を読んだ上でネット上の解説サイトをチェックすると、カナブンやカブト虫のような甲虫類なのである。

この甲虫に変身する前のザムサは両親と妹の家族3人と暮らしており、服地の外交販売員として働く一家の稼ぎ頭だった。
ザムサが働かなければアパートの家賃すら払えなくなるため、両親と妹は変わり果てたザムサの姿を見て大変なショックを受ける。

しかし、さて、ここからどのようなドラマが巻き起こるのかと思いきや、ザムサの身には何も起こらない。
父親と母親はザムサの変身を世間から隠し通すことにのみ腐心し、息子を寝室に閉じ込め、医者を呼んで診てもらおうともしないのはおろか、話しかけようとすらしなくなった。

毎日の食事は妹が与えてくれるが、パンと牛乳を皿に入れてドアの隙間から差し入れる態度は、それこそ虫に餌を与えているようにしか感じられない。
虫になって働けなくなったザムサはもはや、両親にとって息子ではなく、妹にとっての兄でもないただの厄介者なのだ。

働き手を失った両親はアパートの一室を3人の下宿人に貸し、妹はサービスのつもりでレッスン中のヴァイオリン演奏を披露する。
その最中、寝室へ通じるドアが開き、ザムサを発見した下宿人たちは、「こんな化け物がいるところに住んではいられない」と、家賃も払わずに出て行ってしまった。

事ここに至って、それまで有るか無きかの愛情を示していた妹が、「兄さんをどこかに捨ててしまいましょう」と言い出す。
そんな妹の言葉を聞いたザムサは、絶望に打ちひしがれ、毎日出される〝餌〟に口をつけようとしなくなった。

オチらしいオチはつかず、寒々とした読後感が残るが、それでいて、得心のゆく幕切れになっているのも確かだ。
愛情の喪失、家庭の崩壊、人間と社会のつながりの危うさなど、この短い物語からは様々なテーマが読み取れる。

巻末にはドイツ文学者・有村隆広教授による18ページの懇切丁寧な解説、カフカの生涯の概説が付いている。
しかし、読了後はしばらくこの解説を読まず、不安と感動が入り混じった不思議な読後感にしばし身を委ねることをお勧めしたい。

2019読書目録
※は再読、及び旧サイトからのレビュー再録

24『ボール・ファイブ』ジム・バウトン著、帆足実生訳(1979年/恒文社)
23『車椅子のヒーロー あの名俳優クリストファー・リーブが綴る「障害」との闘い』クリストファー・リーブ著、布施由紀子訳(1998年/徳間書店)
22『ベストセラー伝説』本橋信宏(2019年/新潮社 新潮新書)
21『ドン・キホーテ軍団』阿部牧郎(1983年/毎日新聞社)※
20『焦土の野球連盟』阿部牧郎(1987年/扶桑社)※
19『失われた球譜』阿部牧郎(1998年/文藝春秋)※
18『南海・島本講平の詩』(1971年/中央公論社)※
17『カムバック!』テリー・プルート著、廣木明子訳(1990年/東京書籍)※
16『ボール・フォア 大リーグ・衝撃の内幕』ジム・バウトン著、帆足実生訳(1978年/恒文社)
15『ショーケン 最終章』萩原健一(2019年/講談社)
14『頼むから静かにしてくれ Ⅱ』レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳(2006年/中央公論新社)
13『頼むから静かにしてくれ Ⅰ』レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳(2006年/中央公論新社)
12『試合 ボクシング小説集』ジャック・ロンドン著、辻井栄滋訳(1987年/社会思想社 教養文庫)
11『ファースト・マン 月に初めて降り立った男、ニール・アームストロングの人生』ジェイムズ・R・ハンセン著、日暮雅通・水谷淳訳(2019年/河出文庫)
10『平成野球30年の30人』石田雄太(2019年/文藝春秋)
9『toritter とりったー』とり・みき(2011年/徳間書店)
8『Twitter社会論 新たなリアルタイム・ウェブの潮流』津田大介(2009年/洋泉社)
7『極夜行』角幡唯介(2018年/文藝春秋)
6『力がなければ頭を使え 広商野球74の法則』迫田穆成、田尻賢誉(2018年/ベースボール・マガジン社)
5『OPEN アンドレ・アガシの自叙伝』アンドレ・アガシ著、川口由紀子訳(2012年/ベースボール・マガジン社)
4『桜の園・三人姉妹』アントン・チェーホフ著、神西清訳(1967年/新潮文庫)
3『かもめ・ワーニャ伯父さん』アントン・チェーホフ著、神西清訳(1967年/新潮文庫)
2『恋しくて』リチャード・フォード他、村上春樹編訳(2016年/中公文庫)
1『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』ティム・オブライエン他著、村上春樹編訳(2006年/中央公論新社)

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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