甲子園にはバントも似合う

今朝7時過ぎ、TBSへ向かうハイヤーから眺めたわが母校・法政大学

きょうはTBSラジオで生出演を終えたのが朝8時12分過ぎ。
きのうやっとの思いで取った新幹線の切符が東京駅発8時53分。

間に合うかどうかギリギリ、というほどではないけど、TBSから東京駅へ向かう途中で何かあったら、乗りそびれる可能性は低くはない。
というわけで、森本毅郎さん、遠藤泰子さんに「行ってらっしゃ~い!」と送り出されたら、スタジオの外に待機していたADのNさんからバッグをキャッチ。

いそいそとエレベーターの前まで行くと、プロデューサーのKさんがドアを開けたままスタンバってくれていて、あっという間に1階駐車場へ。
スタッフのみなさんのご尽力のおかげで、新幹線には十分余裕をもって乗ることができました。

大阪到着後、いったん梅田のホテルに寄ってゴロゴロを預け、阪神電車に乗って甲子園に着いたのが12時半前。
東スポ記者Sくんから取材用のパスを受け取り、まずはネット裏記者席で原稿を1本書いて送信。

最高気温は35℃超でしたが、ここは銀傘の下で、浜風が吹いていることもあり、意外に暑くありません。
で、14時14分からじっくり観戦した習志野-沖縄尚学戦が実に面白かった!

延長戦の末、5-3で習志野が競り勝ったこの試合、犠打の数が習志野7個、沖縄尚学3個。
両チームともにことごとく成功させ、高い確率で得点やチャンスの拡大に結びつけている。

いや、これほど犠打の価値と役割が明確に示された試合を見たのは久しぶり。
『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)、『2番打者論』(PHP研究所)という著書を持つ私としては、まことに感に堪えないゲームだった。

最も印象に残ったのは沖縄尚学の奥原くん。
第1打席送りバント、第2打席セーフティスクイズ、第3打席満塁フルカウントでのスクイズバントと、いずれも見事に決めて見せた。

とくに、満塁フルカウントでのスクイズバントには、甲子園のスタンドが大きくどよめきましたねえ。
個人的にあんな歓声を聞いたのは、巨人・川相が現役時代の1990年、この球場でツーアウト二・三塁から〝2ラン・スクイズバントヒット〟を決めたとき以来。

試合後、奥原くんに話を聞いたら、「いつも、バントを1球で決められなかったら即交代、という練習をやっているので、バントには自信がありました」。
3個目のスクイズバントは明らかなボール、つまり見逃せば押し出しになる1球だったが、「球筋がよく見えていましたから。試合でフルカウントからスクイズバントをやるのは初めてでしたけど」という返事。

こういうコメントが聞けるのが高校野球なんですよね。
最近、プロはすっかり〝攻撃的2番〟が主流になっちゃって、バントを失敗してもっそのあとで長打を打てば褒められる、という風潮が当たり前になっているだけに、とても新鮮な感じがしました。

甲子園にはバントも似合う。
決してホームランだけじゃなく。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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