私もモンゴルの日本人抑留者墓地を訪ねました

天皇皇后両陛下が8日、モンゴルの首都ウランバートルの日本人抑留者の墓地で黙祷を捧げられました。
今回のニュースで、シベリアだけでなくモンゴルでも多数の日本兵が亡くなり、その墓地があることを知った人も多いと思います。

僕も16年前の2009年7月、この墓地を訪ねました。
大相撲の横綱・白鵬の実家を取材で訪問した際、こういうところがあると初めて知り、せっかくだからと慰霊に訪ねたのです。

以下、旧サイトのPick-upに載せた当時の記事と写真を転載します。
(人名、建造物、現地で聞いた情報などはすべて当時のまま)。

日本人墓地の全景

ウランバートルの中心部から北東へ約15km、ゲル集落が多い丘陵に日本人墓地跡があります。
画像左手前が旧記念堂、その向こうが旧記念碑、その奥が新たな慰霊碑と焼香台、右側にはやはり新しい記念堂。

ここには終戦後抑留されていた日本人兵士1,568人の遺骨が葬られています。
もともとはダンバダルジャー墓地という荒涼とした墓場でした。

そしてモンゴルの民主化を1年後に控えた1991年、時の海部俊樹首相がこの地を訪れ、立派な記念碑が建てられることになった。
この海部使節団に同行していたのが東京慈恵会医科大学の柴孝也先生で、私は柴先生に勧められて足を運んできたわけです。

記念堂

最近建てられたこの記念堂には1,568人のネームプレートをはじめ、亡くなった兵士たちの直筆の絵や遺書が展示されています。
ここには海部氏をはじめ、ここを訪問した小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎各首相の歴訪の模様、及びそのたびにどのような改修工事が行われてきたかがわかる写真と説明文も展示されています。

記念堂内部の中央に立つ金色の仏像

記念堂の中に入ると、中央にこのような金色の仏像が安置されています。
足下に焼香台があり、墓守に渡された鉛筆大の太さの線香に火を点し、厳かに手を合わせました。
仏像の肩にかけられているのは、日本の兜とカタというチベット仏教で神事に用いるスカーフで、どちらも横綱・朝青龍が奉納したものだそうです。

日本人抑留者のネームプレート

日本人兵士の方々のプレートです。
傍らの赤い紙は、ここを訪れた兵士のお孫さんに当たる方が残していったメッセージ。

黒い川原石を装飾に使うよう進言したのは、やはり朝青龍だったとのことです。
それまで木材が使われていたのを見とがめ、「これはみすぼらしい。川原石に変えるべきだ」と、そのための資金援助もしたとか。

慰霊碑

慰霊碑の天辺に空けられた穴に太陽がさしかかると、両側の壁に丸い光の輪ができる。
1日に2度、日が昇るときと沈むとき、それがここで死者を弔う時刻なのだそうです。

焼香台

この焼香台も最近つくられたもの。
奥のレリーフには慰霊の文言が彫られています

地図のモニュメント

モンゴル、及びこの墓地がどこにあるかを示す地図のモニュメント。
手前から奥へ伸びている足下の溝が日本への方角を示しています。

記念碑

日本から集団で訪れる弔問客は、いつもこの記念碑のそばのベンチで一休みする。この周辺はもう少し広げる計画があるとか。

なお、この土地は日本政府の借地。
モンゴルの借地期限は60年が上限ですが、ここだけは100年貸与されることになっているそうです。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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