モネの連作を見に行った🖼️

上野の森美術館のディスプレイは今回もどどーんと圧倒的迫力

正直なところ、ずっと東京の自宅にいると、関西の日本シリーズの盛り上がりをまるで実感できない。
侍ジャパンが優勝したWBC、夏の甲子園の慶応旋風は球場に行かなくても、テレビ中継を見ているだけで熱気が伝わってくるようでしたが。

テレビの情報バラエティー番組での扱いも小さい。
一般的な話題としてはまったく取り上げられていない上に、スポーツコーナーでも卓球やフィギュアスケートの後に回されていたりする。

だからというわけではないんだけど、きのうは上野の森美術館で開催中の『モネ 連作の情景』を見に行ってきました。
印象派の始祖とも言われるモネの連作を世界各国30館から60点も集めた大規模な展覧会で、これだけの作品を一日で見られる機会はそうそうないだろうから。

と考えている人はやはり僕だけではなかったらしく、平日にもかかわらず、あちこちで行列が渋滞するほどの盛況ぶり。
写真撮影の可能な作品の前では多くの人がわれもわれもとスマホで撮影し、フラッシュを炊いて係員に注意されてる人もいた。

そんな人たちに混じって、僕もしっかり撮影したのが、ロンドンのテムズ川にかかるウォータールー橋をモチーフとした連作。
橋そのものより、その時その時の気候や濃厚な空気感が伝わってきて、当時のロンドンが「霧の街」と呼ばれていたことがよくわかる。

『ウォータールー橋、曇り』 1900年 65.0×100.0
『ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ』 1904年 65.7×101.6
  『ウォータールー橋、ロンドン、日没』 1904年 65.5×92.7

ウォータールー橋の隣に展示されていたのが、僕も9年前に見に行った国会議事堂。
実際に見た印象とはまったく異なるこの作品も、19作の連作のうちの1枚だという。

『国会議事堂、バラ色のシンフォニー』 1900年 82.0×92.6

最後に登場するのが晩年の代表作『睡蓮』。
定点観測的なウォータールー橋、ブールヴィルの崖の連作と比べると、長期に渡る睡蓮の場合、初期の画風と後期の画風が大きく異なっている。

『睡蓮』 1897〜98年頃 66.0×104.1
『睡蓮の池』 1918年頃 131.0×197.0
『睡蓮の池の片隅』 1918年 119.5×88.5

撮影禁止エリアでは、『ヴェルノンの教会の眺め』(1883年、64.8×80.0)に描かれた美しい水面に目を奪われた。
モネは川や海の水面を目の前で揺れているがままに描くことを目指し、そのために船上にスケッチ小屋を建てた写生用のボートを作っていて、その船を描いた『海辺の船』(1881年、82.0×60.0)も展示されている。

ちなみに、僕が一番好きなモネ作品は風景画ではなく、風景の中に人物を描いた『散歩、日傘をさす女性』(1875年)で、パソコンの壁紙にしたり、寝室にカレンダーを貼ったりしていた。
これは連作ではないので今回は展示されていなかったが、いつか本物を見てみたい。

ついでに私見を書くと、モネは風景画だけでなく、人物描写でも傑出した才能を発揮した画家だと思う。
今回も、サロンに出品するために描きながら落選したという日本初公開の大作、テーブルを囲む母と娘、客人、メイドを描いた『昼食』(1868~69年、231.5×151.5)が大変印象的だった。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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