父の紫陽花

父親が咲かせた最後の紫陽花(2022年6月19日撮影)

この紫陽花は竹原市の実家に帰省していた去年6月、朝散歩の画像としてSNSにアップしたもの。
父親が最も目立つ庭の奥に植え、毎年きれいな花を咲かせようと、丹精込めて栽培していた姿を思い出す。

生前の父親と腹を割って話し込むことができたのは、この画像を撮影した時期が最後だった。
預金通帳と印鑑は家の何処其処にある、わしが貯めたお金はあんたのものだ、あとは末期の水さえ取ってくれたらええ、間に合わなかったらしょうがない、わしの葬式には人を呼ぶな、あんたとお母さんで送り出してくれ、言いたいことも伝えとくべきことも、もうみんな言うてしもうた。

それから約2カ月後の8月に父親が入院し、僕が9月に実家に帰ってきたときには、この紫陽花はもうかつての美しさと瑞々しさを失い、枯れかかっていた。
父親という主を失った菜園はすっかり荒れ果て、地面には雑草が生い茂り、木々には蔓草が絡まって、そこに蜘蛛が巣を張っている。

9月13日に父親が亡くなったあと、僕は庭に植わった数十種類の木や花の後始末に取りかかった。
自分の仕事と生活の拠点が東京にある以上、いくら父親が愛情を注いでいたとはいえ、菜園の手入れまで受け継ぐことはできない。

昨年の冬、半年前にあれほど咲き誇っていた紫陽花も、剪定鋏ですべての茎を断ち切った。
翌年に備えて剪定するなら花の50〜70㎝下のところを切るのが普通だが、僕はあえて根元に近いところからバッサリやっている。

俺、親不孝だな、親父が見ていたら怒るかな、でも、自分自身の中に未練を残したくないからな。
地面に残った切り株を見て、この紫陽花が花を咲かせることは二度とないだろう、と思っていたのだが。

いつの間にか新たな茎が(きょう2023年5月12日撮影)

これが現在の紫陽花。
僕が切った後から芽を出し、太い茎を伸ばして、今年もまた花を咲かせようとしている。

ボロボロになっていたはずの古い茎から再生していた

驚いて新茎の根元を確かめ、さらに目を見張ったのがこの部分。
去年、変色して古木のようになっていた茎から、鮮やかな緑の茎が生え、伸び、葉を広げている。

紫陽花の生命力はすごい!
紫陽花はもともと丈夫だと言われていることは知っていたけれど、ここまで慈しむように育ててきた父親の愛情の賜物だったのだろう、と息子としては思いたい。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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