野球記者35年目、フリーライター18年目のシーズン⚾️🖊

今年のNPBパスとNPB手帳

今年は2006年5月にスポーツライターとして独立して以来、18年目になる。
野球記者になったのは日刊現代に入社して3年目、運動部に配属された1988年6月で、退職するまでに勤めた年数が18年間。

つまり、今年いっぱい野球の取材を続ければ、フリーになってからのキャリアが社員記者の年数に並ぶことになるのです。
うひゃあ、このトシまでライターやって、まだ食えちゃってるよ、少しは「自分で自分で褒めたい」(©︎有森裕子さん)な、と思わないでもありません。

というささやかな感慨を抱きつつ、きょうは昨年12月30日以来、約1ヶ月ぶりに行きつけの理容院D’s(ディーエス)でカットとカラー。
少なくともフリーになってからの18年間は、必ず3週間以内のペースを守っていたはずなので、これほど散髪の間隔が空いたのは珍しい。

トシを取れば取るほど、常に小綺麗な、というとあざといけれど、少なくとも清潔な身なりを保つことは年々重要になってくる。
頭に髪が残っているうちに、もっとマメに手入れをしなきゃな、と思いながら、散髪のあとで東スポのM部長と1年ぶりに会ってお茶。

相変わらず、新聞社はどこも大変、東スポも必死なんですよね、という切実極まる話題ばかりなんですが、それでもM部長の話は生々しくて可笑しくて、やっぱりとても面白い。
この席で、2023年版のNPB取材パスをいただきました。

毎年、これを手渡されるたび、今年もしっかり取材をするぞ、という気持ちになる。
昨秋から巨人の総合コーチとして復帰した川相昌弘さんをはじめ、若いころに苦楽をともにした球界人もまだまだ大勢、現場で頑張っているしね。

というところで、きょうのBlogはおしまい、ではありません。
帰宅後は某雑誌の編集さんと、来月発行される号の企画についてリモートで打ち合わせ。

よっしゃ! ワタシに任せておきなさい、と言わんばかりに快諾したものの、冷静に考えたら、結構ボリュームのある原稿になりそう。
それやこれやで、今年もまた、徐々に野球モードに入りつつあることを実感した一日でした。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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