【きょう10/9アップ!】現代ビジネス『戦力外通告された若きプロ野球選手の壮絶半生 広場恐怖症、トミー・ジョン手術…それでも「僕はまだ投げられる」』

さっそくヤフトピにも取り上げていただきました

昨年でプロを戦力外となり、12球団トライアウトでもどこにも拾われなかった投手が、7月18日、東京ドームで開催された都市対抗野球大会のマウンドに立った。
元ロッテの中継ぎ左腕、最盛期に最速154キロメートルをマークした永野将司(29)である。

永野は今年から、クラブチームの名門・全府中野球倶楽部に入団、JR東日本の補強選手として、社会人の日本一を決める都市対抗に参加した。
9点リードで迎えた8回の1イニングに4番手で登板すると、強豪・大阪ガスの上位打線を2安打無失点に抑えている。

「久しぶりのドームだったんで、すごくワクワクしました。
ただ、この舞台に立てるのは、全府中のみなさん、特別休暇を与えてくれた今の会社と、いろんな人たちの支えがあったからなんですよね」

トライアウトを受けても、プロや企業からはオファーがなかった。
そこへ一番最初に声をかけてくれたのが、クラブチームの全府中だったという。

「ここには本当に野球が好きな人たちがいて、僕も純粋に野球を楽しめる。
それが、最大の魅力というか、いいところですね」

「純粋に野球を楽しめる」ことは、永野にとって重要な意味を持つ。
ロッテから戦力外となった最大の原因は、パニック障害に似た症状を呈する「広場恐怖症」にあったからだ。

飛行機、新幹線、長距離バスなど、すぐ降りられない公共交通機関に乗ると、閉じ込められているかのような激しい不安に襲われ、目まい、動悸、過呼吸を起こす病気である。
この病気と戦いながら、永野はいかにして復活のマウンドに上がったのか。

詳しくはぜひ、現代ビジネスで御一読ください!

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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