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リクエスト制度が導入されても、審判の判定を巡るトラブルは後を絶たない。
ロッテで14日に井口監督、15日にレアードが2日連続退場処分を受けた。

どちらもストライク、ボールのジャッジに対する暴言が原因だ。
この問題は非常に根が深い。

私は1990年代、ヤクルト監督だった野村克也さんに、何度もこう聞かされたものである。

「スタンカのあの1球。わしの審判不信はあそこから始まっとるんや」

巨人と南海(現ソフトバンク)が対戦した1961年の日本シリーズ、巨人が2勝1敗で迎えた第4戦のことだ。
南海が3−2とリードした九回2死満塁、投手スタンカが打者宮本敏雄をカウント1−2と追い込むと、捕手野村さんは外角低めのフォークを要求した。

これがドンピシャリと決まり、「終わりや」と野村さんが立ち上がった次の瞬間、円城寺満球審が「ボール」。
野村さんはボールとマスクを足元にたたきつけて詰め寄ったが、判定は覆らない。

この直後、宮本が逆転サヨナラヒットを打って南海が敗れ、怒り心頭のスタンカは円城寺にタックル。
野村さんら選手も審判を蹴ったり突き飛ばしたりの暴行に及んだ。

しかし、亡くなる数年前、ノムさんはこの事件について、思わぬ懺悔を吐露している。
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スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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