コロナ禍でキャンプ取材の費用が超安上がりになった件

宮崎・宮交エアラインホテルの朝食

今年のプロ野球キャンプ取材、コロナ禍のおかげで助かったこと(というのもおかしな言い方だが、ほかに言いようがない)がひとつある。
宮崎でも沖縄でも、ホテル代が格段に安くなったのですよ。

1月31日〜2月7日、宮崎で泊まったのは1990年代からある宮交エアラインホテルで、朝食付き、清掃は毎日で1泊5150円。
僕が初めて宮崎キャンプを取材した1989年は、巨人の宿舎・青島グランドホテルの隣にあった橘ホテル(全室ダブル、エキストラベッド2床付き)が朝食付きで1泊5000円だったから、ほぼ30年前の価格水準に戻ったことになる。

ちなみに、2000年代のアタマまで20年以上愛用し、毎年2月はまるまる1カ月泊まっていたホテルメリージュは、現在のようなネット予約が主流になるまで、ダブルの部屋が朝食込み1泊6000円。
当時はコインランドリーの向かい部屋を指定したり、ロードバイクを部屋に持ち込ませてもらったり、いろいろとワガママを聞いてもらいました。

今回、宮交エアラインホテルの4階レストランでいただいたビュッフェ形式の朝食は、和洋両方を取り揃えており、メニューも豊富で食べ放題と、1週間は飽きさせません。
最近のキャンプでは、どこの球団もコロナ禍で報道陣用のランチ食堂を用意しておらず、昼食はコンビニのサンドウィッチやおにぎりで済ませるしかなくて、朝ご飯をガッツリ食べておくことが重要だから、大変助かりました。

ホテルエアウェイの日替わり朝食弁当

2月14〜21日、沖縄の那覇市で泊まったホテルエアウェイはさらに安く、朝食付き、清掃は4日に一度(タオル、バスマット、歯ブラシ等のアメニティ交換は毎日)で1泊3600円。
この価格も、コロナ禍でなければ、今時では考えられない安さです。

僕は日刊現代の社員記者だった1990年からフリーになって間もない2008年まで、コザの吉田ホテルという個人営業のホテルに泊まっていた。
沖縄本土復帰前から営業しているそうで、ベトナム戦争や湾岸戦争のころはアメリカ人の宿泊客も多かったというモーテル風のホテル。

初めて泊まった1990年は、ママさん手作りの朝食をたっぷり食べられた上に、下着の洗濯もしてくれて1泊3000円(2500円だったかも?)。
だから、今回は沖縄でも30年ぶりのお得感がありました。

なお、ホテルエアウェイの朝食はレストランでのビュッフェ形式ではなく、画像のような日替わり弁当。
味噌汁とさんぴん茶の缶1本が付き、毎朝フロントで朝食券と引き換えに渡され、部屋に持って帰って食べる、というスタイル。

宮崎のホテルのように、食後のフルーツ、ヨーグルト、毎朝2杯は飲むコーヒーが味わえないのは残念でしたが、2〜3日もすると、こういう朝食にも意外に慣れてしまうんだよね。
と言いながら、東京の自宅に帰ってきたら、ブラックコーヒー、ホットミルク、コーンポタージュと、毎朝の定番メニューを自分で作っていますが。

コロナ前はキャンプたけなわの週末ともなると、どこの旅行サイトでも今回泊まったごく普通のホテルでも、当然のように1万円以上の価格設定をしていて、僕も仕方なく土曜のみ1万7000円の部屋に泊まったことが一度だけある。
このときは、担当の編集さんに「落ちる?」と聞くのに、いつもより勇気が要りました。

当時は、部屋が非常に狭いことで知られており、僕が一度泊まっただけで二度と利用しないと決めている全国チェーンのホテルなどは1泊2万円。
コロナ前のホテルの価格設定は、はっきり言って異常だったと思う。

というわけで、コロナ禍が一日も早く終息するよう願ってはいるけれど、いざ現実に終息したら、ホテル業界を中心に〝リバウンド値上げ〟が起こったりしないかが気掛かりです。
あ、まだそんなことを心配するような時期じゃないか。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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