年賀状は廃れたというけれど

東京の自宅に届いた年賀状

今年の年賀状は、礼状も含めて送ったのも届いたのも60枚ぐらい(画像)。
珍しく、数年ぶりに、転居先不明などで戻ってきた年賀状が一枚もありませんでした。

上の画像で両親からの年賀状が束の一番上にあるのは、何も自分の親を誇りたいからではなく、例年五十音順に重ねて保管しているため。
親父が同じように年賀状を管理していれば、たぶんこちらから実家に送った年賀状も束の一番上にあるはず。

インターネットが普及する前、夕刊紙(日刊ゲンダイ)の社員記者だったころは、最も多かったときで現在の2.5倍くらい年賀状を出していた。
それがもらうのも送るのも年々減っていき、いまや半分以下になっている。

だから楽になったかと言うとちっともそんなことはなく、正月三が日はむしろ、以前より年賀の挨拶に追われるようになった。
例年、初日の出の画像をSNSにアップし、友だちやフォロワーのみなさんへ新年のご挨拶をしていると、ここに多数のコメントやリプライをいただくため、お一人お一人にたとえ簡単でも返事をしているからです。

その数にLINEやメールのメッセージも加えると数十人になるから、結局、年賀の挨拶をする方々の人数自体は、たくさん年賀状を書いていたころとほとんど変わっていない勘定になる。
Facebook、Twitter、Instagramに寄せられる「いいね!」まで足すと、単純計算で最も多く年賀状を出していたころをはるかに上回る。

こういう時代なのだから、年初の挨拶はもうネットだけにすればいい、という考え方も定着しつつある。
自分がトシを取ったこともあり、最近は定年、引退、高齢化を理由に年賀状をやめる人も年々増えてきた。

しかし、当然のことながら、年賀状をいただく方々からは二度手間となるSNSでの挨拶をされることはなく、年に一度の年賀はがきだけで近況を報告し合っている人も多い。
家族写真やほんのちょっとした一筆を目にして、お互い若かったころ、仕事でお世話になった時代を思い出し、まだ元気でいることに何となくホッとした心持ちになる、というのも大切な正月気分の一つだと思うのです。

というわけで、僕はまだ当分、年賀状を送る習慣自体をやめるつもりはありません(まあ、来年はまた少し減るだろうけど)。
子供のころはゴム版画、20〜30代のころはプリントゴッコ、いまでは一太郎の楽々はがきと、その時代の方法でオリジナルの年賀状を作るのが好きなこともあって。

ちなみに、画像でおわかりの通り、親父は87歳でまだ年賀状を続けています。
今年も炬燵で一枚一枚にじっくり目を通し、「今年はこのデザインが一番良かった」と言って示した年賀状は、残念ながら僕が送ったものではありませんでした。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
先頭に戻る