巨人のコノ人にココが聞きたい、でも聞けない⚾️

きょうの結果は3-3で引き分け

今年の巨人戦は桑田投手チーフコーチ補佐がマウンドに行った直後に試合が動くことが多い。
投手コーチがマウンドに行くのは、投手が打たれたり、四球を出したりしてピンチを招いた直後と決まっているから、それも当然の現象ではあるのだが。

きょうのDeNA戦は、先発の戸郷が四回まで無安打無失点、走者を出したのは初回に四球で歩かせた佐野ひとりだけ。
四回まで1安打1四球無失点と、同じく好投を続けるDeNAの今永を向こうに回し、一歩も引けを取らない投手戦を演じていた。

ところが、その戸郷、五回にきて先頭の宮﨑に先制ソロ本塁打を浴びると、ここから一気に音を立てて崩れ始める。
1死後、投手の今永にストレートの四球を与えて満塁とされると、原監督の指示を受けて桑田コーチがマウンドに走った。

桑田コーチの助言はいつも短く、大声で励ますようなこともないから、マウンド上にいる戸郷と捕手の小林ぐらいにしか聞こえない。
彼の性格から言って、くどくどと念を押すような話し方よりも、簡潔で的確な指示を心がけているものと推察する。

残念ながら、きょうはそんな桑田コーチの言葉が奏効せず、戸郷は2死までいきながら佐野に2点タイムリーを喫し、0-3とさらにリードを広げられてしまった。
あの直前、桑田コーチは戸郷に何を言ったのか? そこを聞きたい、と思っている記者やファンは少なくないはずだ。

しかし、コロナ禍の現在、われわれの取材はリモート囲みに限定されている。
一昨年までのように選手やコーチをロッカーの前で待ち受け、直接質問をぶつけることができない。

無論、戸郷に何を言ったのですか、と仮に桑田コーチに聞いたところで、彼は本当のことはまず話さないだろう。
そんなこと言えるわけないじゃないですか、話せることと話せないことがあるんですよ、とはぐらかしてしまうに違いない。

だが、それでも、直接取材できれば、最低限、桑田コーチの表情を見、声を聞くことはできる。
われわれはそこから何かを感じ取ることで、記事に何らかの膨らみやニュアンスを盛り込むことができる。

もちろん、だからといって、コメントを曲解してはいけない。
ちなみに、現役時代の桑田コーチは、長嶋監督の最終年だった2001年のシーズン終盤、不本意な降板を強いられた試合後、「まだ投げられたのではないか」と聞かれて、こう答えている。

「監督がすべてです」

当時の長嶋監督と桑田をはじめとする主力選手との距離感が、この一言に凝縮されていた。
当時は、こういうコメントを聞くことが、取材の醍醐味のひとつでもあった。

きょうの観衆は16,047人
スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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