元夕刊フジ編集委員・東スポOB、江尻良文さんを悼む

きょう9月16日付の夕刊フジ1面

きょうは東京ドームへ向かう前、JR飯田橋駅のNewDaysで久しぶりに夕刊フジを買った。
1面にタイトルが出ている通り、ON(現ソフトバンク・王貞治球団会長、現巨人・長嶋茂雄終身名誉監督)がコメントを寄せた同紙の編集委員・江尻良文さん(享年72)の追悼記事を読むためである。

江尻さんは11日、自宅で息を引き取っているところをご家族に発見された。
死因は肺に膿が溜まる「膿胸」という病気で、昨年、一時入院されていたが、しばらくして快復し、仕事も再開されていたというのに、残念でならない。

江尻さんはもともと、僕が寄稿している東スポ出身で、恐らく現場に出ていたOBとしては最年長ではなかったかと思う。
東スポ時代からONと親密な関係を築いていることで知られており、元ニッポン放送アナウンサーの深澤弘さんとも昵懇の間柄だった。

その深澤さんが8日に亡くなってから僅か3日後、江尻さんがこの世を去った。
後を追うように、とはこういうことかと、曰く言い難い因縁と喪失感を感じる。

僕は江尻さんと格別親しかったわけではないが、東スポや夕刊フジと同じ夕刊紙、日刊ゲンダイの社員記者だったころから、何かとよくして頂いた記憶がある。
キャンプ地での取材を除き、シーズン中に球場へ足を運ぶ江尻さんはいつもシックなスーツ姿で、ネクタイを決して緩めず首元まで締めていた。

上はシャツの裾出し、下はデニムというカジュアルで着崩した格好の記者も多い中(若い頃の僕もそのひとりだった)、江尻さんの出立ちは一際スタイリッシュだった。
その江尻さんがよく話してくれて、コラムにも書いていた長嶋さんと東スポにまつわる印象的なエピソードがある。

江尻さんは東スポ時代、長嶋監督に「東スポが他のスポーツ紙と同じようなことを書いていてどうするんだ」と激励された。
「俺が朝のコーヒーを飲みながら読んでいて、ビックリして思わずカップを落としてしまうような記事を書かなきゃ」と長嶋さんは言うのである。

ありがとうございます、頑張ります、と答えたあと、江尻さんは首をひねったそうだ。
「東スポは夕刊紙だから、朝には読めないんだよな、前日の新聞なら別だけど」と。

もうひとつ、ダイエー監督時代の王さんについての逸話も面白かった。
福岡ドーム(現PayPayドーム)の応接室で江尻さんが王さんに取材していた最中、当時の球団幹部が入ってきて、選手会から要望が出ている案件を王さんに告げた。

そうしたら、たちまち激怒した王さん、ウチの選手は何を考えてるんだ、そんなことをやってどうするんだ、と大声でその球団幹部を怒鳴りつけたのだそうだ。
そういう概略だけ聞けば、昔の血気盛んだった王さんならいかにもありそうな話に思えるが、江尻さんは「いやあ、怖かった、あんな王さんは初めて見たよ」と、こう振り返った。

「王さんは怒ったら怖い、怖いと言われてるけど、でも、実際に本気で怒ったところは俺たちに見せないし、見たことのある記者もいないだろ、俺も含めてさ。
あの本気で怒った時は本当に怖かったぞ、王さんは」

ぼくが江尻さんと最後に会ったのは昨年1月、東京運動記者クラブ・プロ野球分科会の懇親会の席だった。
そのときは、新聞が売れない、もう活字はダメだな、とマスコミ業界の現状を嘆きながら、それでも、まだまだ現役の記者ならではの熱っぽい語りを聞かせて頂いた。

生前は多くの貴重なご助言、ご教示、ありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈りします。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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