記者がリストラされたらすぐやるべきこと

志茂あたりの荒川河川敷 遠くに東京スカイツリーが見える

きょうの荒川サイクリングは今年最長、ここ数年間で久しぶりの60㎞台に乗せた65.8㎞。
だいぶかつての足が戻ってきた感覚があるので、近いうちにまた、40代のころのように100㎞走ってみようかな。

もっとも、きょう距離が伸びたのは、「60㎞走るんじゃあ!」とひっちゃきになったわけではなく、あれこれ考えごとをしているうちに、帰宅ルートのポイントをうっかりスルーしてしまったからなんですけどね。
考えていたのは、ここ数年、新聞社をはじめとするメディア各社で行われている早期依願退職者募集、いわゆるリストラによって辞める友人知人が増えたことについて。

直接、間接に聞いている限りでは、50代で退職する場合、大抵は2000万円程度の退職金がもらえるため、ホッとするのだろうか、「しばらくはノンビリします」と言っている人が多い。
まあ、本音かどうかはわかりませんが。

僕自身の経験から言うと、退職後もマスコミで仕事をしたいのであれば、辞めた直後こそ、積極的に〝営業活動〟に勤しんだほうがいい。
2006年5月末で日刊現代を辞めた僕の場合は、それまでお付き合いのあったメディア各社の友人知人から、いわゆる〝失業者支援〟的に、様々なオファーを頂いた。

講談社での小説とノンフィクションの出版、月刊現代、ムック・セオリー、文藝春秋のSports Graphic Number、徳間書店のアサヒ芸能などなど。
とてもこんなにいっぱい原稿書けないよ、と思いながら、各メディアの編集さんは非常に熱心で、定収入をなくした身には大変ありがたい申し出でもあったから、結局はほぼ例外なく引き受けました。

それらがすべて世に出た06年11、12月の月収は2カ月連続で100万円前後になり、おお、俺も大したもんだなぁ、これならフリーになっても食うには困らないだろうと、ひとり悦に入っていたが、当然ながら、そんないい時期は長くは続かない。
年が明けた07年1月は月収19万円まで落ち、2月以降はさらに下落を続けて、一時は月1本の連載月刊WEDGEの『SPORTS突き抜けた瞬間(とき)』しか仕事がなくなった。

しかし、これしかやることがないのならと、自分なりに真面目に取り組んだWEDGEの仕事は、自分の視野や取材のフィールドを広げるのに、大いに役立った。
のちに朝日新聞出版のアエラ、Numberでもインタビュー原稿を書いたマラソンランナー、アテネ五輪金メダリストの野口みずきさんをはじめ、大相撲の力士たち、陸上、ゴルフ、サッカーなど、様々な競技のアスリートとの縁ができたのは、WEDGEと担当編集者Tさんのおかげである。

ちなみに、僕が43歳で日刊現代からもらった退職金は、最近リストラが行われた新聞各社で依願退職に応じた記者が支給されている額の半分程度でしかなかったと、のちにわかった。
しかも、退職金が振り込まれる前になって、当時の経理部長が億単位の背任横領で摘発・逮捕され、NHKニュースの全国版で報じられている。

泡を食って後任の経理部長に問い合わせようと、日刊現代に電話したら、総務部の女性社員に「いま経理部にはお取り次ぎできないことになっております」と言われ、一瞬、目の前が真っ暗になった。
幸い、当時の総務部長、後任の経理部長には誠実に対応してもらい、退職金がのちにきちんと振り込まれたのはもちろん、「何か困ったことがあったらいつでも連絡してください」と言われた。

しかし、当時、刊現代時代の同僚に聞いた話によると、当時の専務兼編集局長で、のちに社長にもなった人物(現在は引退)は、経理部長の背任横領事件について、公にも社内的にも何の釈明もしていない。
2015年に他界した川鍋孝文会長のお別れの会で、僕が彼に挨拶しようとしたときも、口を利くことを避けられた。

正直、そのときはいささか寂しいと感じたが、いま改めてその場面を思い返し、感傷的な気分に浸っているわけではない。
会社と一個人の関係は、いったん雇用関係が途切れてしまえば、そういうふうに断絶するしかないのだと思う。

スポーツ紙には社員を辞めたあとで古巣との関係を保ち、署名原稿の寄稿を続けている記者がいて、「赤坂もそういう仕事はしないの?」と聞いてくる業界の先輩がいた。
また、ある新聞社の元記者は、定年退職にするにあたって、会社には愛想が尽きているから、いろいろな媒体で仕事ができるよう、マネージメントしてくれる人を探している、と僕に相談を持ちかけてきた。

そういう人たちに、僕から言えることは何もない。
会社を離れてひとりになったら、独力でテーマや取材対象を探し、伝手を頼って企画を売り込み、原稿を書いて読んでもらうしか、食べていく手段はない、というのが僕の信条、という以前に、それが現実だから。

あなた、会社を辞めたの? なら、動くのはいまです。
僕からは、それしか言えません。

荒川河口から眺めた雲は夏型

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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