BS世界のドキュメンタリー『エルトン・ジョンの全貌』(NHK-BS1)

Elton John Uncensored
50分 2019年 制作:イギリスBBC(イギリス 2019年)
初放送:2020年4月1日(水)午前0:00~0:50 再放送:2021年1月1日(金)午前1:35〜2:25

自ら製作総指揮に当たった伝記映画『ロケットマン』が公開された2019年、イギリスBBCの名司会者グラハム・ノートンが、フランス南部の自宅でエルトン・ジョンに行ったロングインタビュー。
エルトンがカツラをつけて登場したのは、何かの洒落なのか、最近のスタイルなのか、72歳にして耳が遠くなることもなく、呂律や滑舌が怪しくなることもなく、機関銃のように自分のことをしゃべりまくっている。

最初のツカミとなる傑作なエピソードは、明るくてジョークを好む半面、大変気難しいところもあり、非常に複雑な人間だったという母シーラとの確執と和解。
自分のツアーに同行させたとき、いまやカルト化しているハードコア・ポルノ『ディープ・スロート』(1972年)を観たいと言い出し、一緒に観に行ったら「あらまあ」などと言っていたという。

いまも語り草となっているハリウッド・ボウルでのコンサートにはなんと『ディープ・スロート』の主演女優、このときは「母の友だちだった」(?)リンダ・ラヴレースを招待。
ジョン・リードが衣装と演出を担当したこのショーでは、ド派手なコスチュームを着たエルトンがグランドピアノを5台も並べたステージに登場している。

このコンサート以降、エルトンのステージは桁外れにショーアップし、オーケストラとの共演でバッハのカツラをかぶったり、パンクロッカーのカツラにしてみたり、アンコールでドナルドダックのコスチュームを着たこともあった。
ちなみに、禿げ始めたのは30歳ごろで、最初は植毛したり、増毛剤を使ったりもしたが、このころはすでにクスリ漬けになっていたためか効果はなく、仕方なくカツラにしたら評判は散々。

音楽活動において最も大きかったのはやはり、50年以上も続いている作詞家バーニー・トーピンとのつながりで、彼との出会いは「自分の人生にカチッとハマった瞬間だった」とエルトンは振り返る。
これはまさに「運命」であり、「クスリをやめたこと、子供を持ったこと」と同じくらい、「いまのような人生を形作った」大きな要因だった。

ほかのミュージシャンとの交友関係も明け透けに語っていて、ジョン・レノン、フレディ・マーキュリー、ロッド・スチュワート、ティナ・ターナーら、一時代を築いたスターたちの名前がポンポン飛び出す。
とくに、ホテルの部屋でレノンとコカインをやっていた深夜1時半ごろ、アンディ・ウォーホルがやってきたので追い返したというエピソードが笑える。

カンヌのホテルでは、デュラン・デュランとマティーニとコカインをやって大暴れし、秘書の部屋をメチャクチャにしてしまったそうだ。
当時、エルトンはマティーニにハマっており、多いときで30分に6杯空けたこともあるというから、そのアル中ぶりもさりながら、そこまで飲んでステージに出演していた体力に驚かされる(というより呆れてしまう)。

そうした逸話を聞くにつけ、改めて感心させられるのは酒とクスリに対する強さで、全盛時は一日中マリファナを吸い、毎日ウイスキーをボトル1本空けていたという。
そこまで荒れた生活を続けていた最中、「自分は生きたいのか、死にたいのか」と自問自答するようになったエルトンは、ついにアルコールとドラッグを断とうと決意する。

しかし、長年の不摂生のツケは確実に身体を蝕んでいたらしく、現在のエルトンは癌で前立腺を切除したのをはじめ、盲腸も扁桃腺も腎臓結石も取り、頭髪は一本残らず抜け、心臓にはペースメーカーが入っている。
ここでエルトンが「まるでバイオニック・ジェミーだ、リンゼイ・ワグナーと呼んでくれ、スティーヴ・オースチンでもいいかな」と言い出したときは爆笑してしまいました。

オススメ度A。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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