BS1スペシャル『栄光へのペダル〜ロードレース日本代表への激闘〜』(NHK-BS1)🤗

110分 2020年 制作:NHKグローバルメディアサービス
初放送:12月11日(金) 午後8:00~9:50
再放送:12月17日(木) 午前9:00~10:50

前項『日本代表へのペダル〜激闘!ロードレース〜』(2019年)の続編に当たり、いよいよ日本代表が決定するまでの一篇。
前半では前作のクライマックスだった全日本選手権(2019年6月30日)の模様と、別府史之、新城幸也、増田成幸の3選手の紹介に割かれている。

新城は全日本選手権のあと、2019年8月4日にポイント数の多いイギリスのレース、プルデンシャル・ライド・ロンドンに参戦して26位。
72ポイントを獲得して計171ポイントまで伸ばし、首位の増田(201.8ポイント)を追い上げた。

一方、追われる増田は所属するチーム、宇都宮ブリッツェンのサイクリングイベントに参加し、地元のファンと交流している。
毎年、海外からもトップクラスの選手を招いてジャパンカップを開催している宇都宮において、増田は昔で言う〝おらが町〟のヒーローなのだ。

2019年10月19日、そのジャパンカップが次なる直接対決の舞台となった。
このレース、トレック・ファクトリー・レーシングでエースのアシストを務めた別府にはポイントがつかず、新城が12位で20ポイント、増田が13位で15ポイントを加算した中、中根英登という新鋭が6位に食い込んで70ポイントを稼いだ。

これで中根は計115ポイントとし、一気に4位まで浮上、1位・増田(216.8ポイント)、2位・新城(191ポイント)を脅かす存在にのし上がる。
もともとロードレースの選手で、現在は愛三レーシングチームの運営に携わっている父親に自転車を教え込まれた中根は、別府や新城に優るとも劣らないエリート育ちと言っていい。

2019年12月、その中根と別府がポイントランキングを上げるため、フランスのNIPPO・デルコ・ワンプロヴァンスに移籍し、ともに同じチームの選手としてしのぎを削ることになった。
その矢先、別府は練習中に転倒し、肋骨と肩甲骨を骨折して全治2カ月の重傷を負ってしまう。

しかし、まだ逆転のチャンスがないわけではないと、後半の最初にロードレース解説者の栗村修が説明してくれる。
UCI(国際自転車競技連合)ではチームのカテゴリーが上からワールドチーム、プロチーム、コンチネンタルチームに分かれており、一番ランクの高いワールドチームのレース、ワールドツアーで上位6〜10位以内に入れば、一挙に500ポイント以上稼ぐことができるのだ。

ワールドチームに所属する別府、新城、プロチームの中根にはワールドツアーで大きくポイントを稼げる可能性が残されている。
ところが、増田の宇都宮ブリッツェンはコンチネンタルチームのカテゴリーに入っているため、ワールドツアーに参加すること自体が不可能。

2020年1月、新城はワールドツアーの初戦、オーストラリア・アデレードのツアー・ダウンアンダーに参戦し、29位で120ポイントを獲得。
計311ポイントとして1位・増田を抜き、ついにランキングのトップに立った。

その10日後、故障明けの別府はフランスのニームで行われた5日間のステージレース、エトワール・ドゥ・べセージュにチームのキャプテンとして復帰。
ジャパンカップと同様、ポイントこそ獲得できなかったが、「春のクラシックレースに向けてコンディションを整えることができた」と手応えを語っている。

それから間も無くして、新型コロナウイルスの感染拡大により、世界中の選考レースが夏までストップ。
日本代表の選考期限が5月31日から10月17日に先送りされ、8月にようやくヨーローッパのレースが再開された中、中根は8月25日にフランスで行われたワールドツアーで24ポイントを稼ぎ、僅差で2位に浮上する。

この時点で新城はすでに518ポイントを稼いでおり、日本代表の当確ランプがつくまであと一息というところ。
残る1枠を2位・中根(282ポイント)、ワールドツアーに出場できない3位・増田(274.8ポイント)で争うことになったのである。

そうした最中、増田が国内でポイントを稼げるUCIレース、3月のツール・ド・とちぎ、5月のツアー・オブ・ジャパン、6月の全日本選手権、8月のツール・ド・北海道と次々に中止が決定。
それならばと、増田はタイでのレース出場を申請するが、コロナ禍による入国制限のためにこれもかなわず。

宇都宮ブリッツェンの監督やスタッフは増田のため、世界各国のレース主催者と粘り強く交渉を続け、ついにスペイン・バスク地方のレース、プルエバ・ビヤフランカ・デ・オルディシアの出場にこぎつける。
そこへ、2位を争う中根も参戦した。

増田が日本代表の座を掴むには、25位以内に入り、なおかつ順位で中根を上回らなければならない。
開催日は10月12日、日本代表選考期限の僅か5日前という文字通りの最終決戦である。

当日、増田の地元・宇都宮では、パブリックビューイングが行われ、大勢のファンが集まった。
大勢と言っても時節柄、人数を制限せざるを得ず、誰もがマスクをしてソーシャルディスタンスを取り、声を抑えての応援だ。

しかし、ワールドチームが多数参加し、序盤から激しいアタックのかかったこのレースに、宇都宮ブリッツェンのアシストたちがついていけない。
チームメート全員が全長165㎞5周回の2周回目で脱落し、増田は残る140㎞超の距離をたったひとりで戦わなければならなくなる。

ここから先のデッドヒートは、結果がわかっていても手に汗握り、胸の内にこみあげてくるものを感じる。
こういう死闘を制して代表の座を勝ち取ったレーサーのために、いや、最後まで熾烈な戦いを演じたレーサーすべてのためにも、何としても来年、東京オリンピックが開催されることを祈っています。

オススメ度A。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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