【きょう5日発売!】東京スポーツ『球界平成裏面史18/巨人、お騒がせ外国人の当たり年』

3日前から再開したこの連載、きのうまでは1990(平成2)年、巨人が日本シリーズで西武に4連敗した内幕と、その後遺症について綴ってみました。
その90年のシーズンオフ、巨人史上最強の助っ人と謳われながら、「巨人の条件提示はアンビリーバブルだ!」と吐き捨て、アメリカへ帰って行ったのがクロマティ。

「ヒラノ(平野博昭・渉外担当兼通訳)が言うには、ジャイアンツは年俸を下げても残るのなら来年も契約してやるんだってさ。
信じられないよ、俺は7年間もジャイアンツに貢献してきたのに!」

退団後には暴露的な内容を山と盛り込んだ回顧録『さらばサムライ野球』(1991年/講談社)を、ロバート・ホワイティングとの共著として出版。
当時、まだ現役の4番だった原監督をはじめ、巨人の関係者はみんなカンカンだったけど、いまではそのクロマティがアドバイザーとして雇われている。

平成時代の巨人の外国人というと、前回の『球界平成裏面史』で書いたガルベスのような暴れん坊の印象が強い。
でも、ときに大暴れしながら、現場の記者に笑えるエピソードを残していった助っ人も、実はいっぱいいるんですよ。

当時は、いまよりもずっと外国人がありがたがられていた時代だからね。
例えば、1996(平成8)年に趙成珉が入団したとき、「ちょっと江川さんに雰囲気が似てますね」と記者に水を向けられた長嶋監督はこう言っていたものです。

「江川? 江川なんか問題じゃありませんよ。
スケールが違います、スケールが」

監督にこういうミエミエのゲタを履かされ、看板倒れに終わった外国人がどれほどいたことか。
今年のキャンプでも、「うちの選手にはできないスイングだ」と原監督が絶賛、育成から支配下契約に昇格しながらオープン戦で早くも実力を露呈し、今季終了後に解雇されたモタなんて、その最たる例でしょう。

その点、平成の外国人は、いまよりもっと笑える数々の〝事件〟を起こしてくれたものです。
詳しくはきょうの東スポ、大スポ、中京スポ、及び明日の九スポ(掲載日は変更あり)でお読みください!

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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