50’sショウアップ”ダジャレ”ナイター⚾️🎤🤣

スタメン発表の際に映し出された特別映像

「この夜で一番哀しい職業は年を取った野球記者だ」
と言ったのは、1900年代初頭に活躍したシカゴ・トリビューンのコラムニスト、リング・ラードナーである。

世代交代の早いプロ野球の世界では、選手、監督が自分より若い人間に変わると、取材をしようにもきっかけがつかめず、会話をしても噛み合わない。
そういうことを自覚せざるを得なくなった年寄りの記者にとって、球場はもはや仕事をするところではなく、年々少なくなる昔馴染みと旧交を温めるだけの場に過ぎない、というのだ。

こう書くと、かなりの老境に入ってもらした述懐のようだが、ラードナーが亡くなったのは48歳と、当時としても早逝に入る若さだった。
現代の日本では、私のような50代のライターや60歳を過ぎた定年延長組の記者も珍しくなく、私も含めて、みなさん、まだまだ若いと自分では思っている。

しかし、ラードナーが亡くなった48歳まではそうでもなかったけれど、57歳になったいまでは、正直、彼が指摘した寂しさがだんだん身に染みるようになってきた。
そうした中、この人たちは変わらないなあ、と思わせてくれたのが、今夜ニッポン放送のブースにいた松本秀夫アナ(59歳)、川相昌弘氏(55歳)、桑田真澄氏(52歳)の50’sトリオ。

松本アナ「桑田さんと川相さんは現役時代から、ジャイアンツでずっと一緒にやってきた仲なんですよね」😏

桑田氏「ええ、きょうは川相さんのダジャレが出てもいいように、しっかり準備をしてきました」😉

松本アナ「なるほど、桑田さんはそれだけたくさん、川相さんのダジャレを聞いてきたから」😓

桑田氏「はい、僕には抗体ができてます」✌️

松本アナ「ダジャレってウイルスなんですか」🦠

桑田氏「それは辛い時もありました。面白い時も多々ありましたけど」😅
(※ハッキリ言って、このコメントにはメチャクチャ共感しました!)😂

松本アナ「さて、川相さんにはですね、勝沼の名産品、シャインマスカットをわれわれニッポン放送のスタッフに差し入れしていただきました」😋

川相氏「ヤクルトのユニホームとヘルメットの色、シャインマスカットに似てますよね。とくにヘルメットのテカリが」🟩

松本アナ「ははあ、そう言えばそうですね」😳

川相氏「ここで松本さんにクイズです。葡萄を10個食べたらどんな栄養が取れるでしょう?」🍇

松本アナ「栄養ですか。何だろう?」🤔

桑田氏「僕、わかりました。ブドウ糖(十)ですね」🤗

松本アナ「さすが桑田さん、やはり、現役時代からずっと、こういう川相さんのダジャレを聞いてきたわけですね」👍

その後、試合が接戦になるにつれ、川相氏がダジャレを封印。
巨人の投手を解説する桑田氏の口調にも熱がこもってきた。

桑田氏「(七回途中から登板した)鍵谷くんですが、全力で投げることしか考えていないようなピッチングですよね。でも、ピッチングの目的は全力で投げることでも、150㎞出すことでもなくて、アウトを取ることなんですよ。アウトは80%の力でも取れるわけですから、鍵谷くんにはこれからそういうことも考えてほしいですね」⚾️

川相氏「松本さん、いまの話はポイントですよ」😠

松本アナ「ポイントですか」😰

川相氏「そこがカギや(鍵谷)」🗝

松本アナ「ここで来ましたか」🤣

桑田氏「いや、しばらくなかったなあ、とは思ってたんですが」🤣

このほか、味わいと含蓄に富んだ野球談義もいっぱい聞かせていただきました。
川相氏の岡本の特守、松原のお兄さんネタ、桑田さんの三本柱、巨人の査定ネタなど、このお二方ならではの裏話も満載。

そして、松本アナのパワフルでエネルギッシュな実況もまだまだ健在。
桑田氏が「松本さん、ようしゃべりますねえ、いつまでしゃべるんだろうと思いましたよ」と感心(?)していたほど。

さらに試合終了後、川相氏がダメ押しのようにダジャレを繰り出し、桑田氏もしっかりウケていましたが、このくだりはもう割愛。
みなさん、年は取っても老け込むことなく、いつまでもこういう野球を盛り上げるトークを続けてほしいものです。

かつてのリング・ラードナーなら、今夜の実況を聴いて、どんなコラムにしただろうかと、ふと、そんな思いもよぎったりして。
ラードナーはアメリカ文学史上に残るユーモア作家でもあったから。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』、WEDGE Infinity『赤坂英一の野球丸』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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