東京ドームの救護室にて⚾️

東京ドームの救護室にて、左から川相氏、私、柴先生

今季はコロナ禍の影響により、球場へ取材に行っても、球界やマスコミの親しい知人友人になかなか会えなくなりました。
このブログで何度も書いているように、どこの球場でも報道陣の人数を厳しく制限しているため。

おかげでめっきり減ったのが、球界のOB評論家とその担当記者。
コロナ前はテレビ、ラジオの解説以外にも、スポーツ紙の評論の仕事で大勢の球界OBが球場を訪れていたものです。

評論家のコメントをコラムにまとめる記者は大抵、それ相当の経験を積んだベテランで、A先生と同世代か、ごく少数ながら年上の定年延長組もいらっしゃる。
正直言って、トシを取った最近は、そういう旧知の記者や評論家の方々との雑談が楽しみで球場に通っていた。

しかし、いまではOBといえどもなかなか球場に入れない上に、入れてもグラウンドは立入禁止で、監督、選手、コーチに話を聞くことができない。
だから、仕方なくテレビで試合を見て、やはりテレビ観戦している記者に電話で感想や評論をしゃべらざるを得ない、というのが実情です。

おかげで、同じ法大OBのEさんとかKさんとか、個人的に親しい評論家を滅多に見かけなくなり、淋しい思いをしていた最中のきょう、東京ドームで久しぶりに巨人OBの川相昌弘さんに再会しました。
川相さんのきょうの仕事は、一部スタンドのお客さんに生解説とオフレコトークを聴かせる巨人の名物企画〈レジェンズシート〉。

その仕事の前、私と川相さんが日ごろからお世話になっている慈恵医大の教授、柴孝也先生が当番を務めている救護室に寄りました。
救護室とは、別名医務室ともいって、試合中に気分が悪くなったり、打球が当たってケガをしたりしたお客さんが担ぎ込まれるところ。

柴先生は瑞宝章受章を授与されたほどの名医でありながら、旧後楽園球場時代から、この救護室の当番医を継続中。
長嶋茂雄さんや王貞治さん、いまは亡き川上哲治さんや藤田元司さんとも昵懇の間柄だったお方です。

3人で会うのは確か、1月に東京ドームホテルで行われた柴先生主催の〈みんなの新年会〉以来。
となれば、四方山話がわんさかと、となるのが普通だけれど、こういうご時世だからか、どうも景気のいい話題が出てこなかった。

驚いたのは、川相氏が現役時代に守備の指導を受けた巨人OB、故・瀧安治さんの未亡人・史子さんが、3週間ほど前に亡くなったと聞いたこと。
葬儀は親族で済まされたそうですが、新年会では毎年、僕が持参した著書をお買い求め頂き、感想も伺っていただけに残念でなりません。

こういうご時世になると、「毎日、命があるだけでも最高にラッキー」と思わなきゃなあ。
ちなみに、これはKISSのリードボーカル、ユダヤ人のジーン・シモンズがアウシュビッツのサバイバーだったお母さんに言われた言葉です。

みんなでマスクを取ってもう1枚

それにしても、今夜の巨人-DeNA戦はヒドかったなぁ。
DeNA・ラミレス監督が中継ぎのパットンを来日4年目で初先発させたら、これ以上はないほど裏目に出て、二回までに13失点。

ほぼ勝負が決まったあと、3番手で山崎、4番手でピープルズを登板させるという継投には、三塁側スタンドのファンから「ラミレス! どうなってんだよー!」という怒声が飛んでいた。
さて、ラミレス監督は試合後、この屈辱的な敗戦をどう振り返ったか…という話は、そのうち仕事で書くことにします。

試合終了直後のスコアボードとオーロラビジョン
スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』、WEDGE Infinity『赤坂英一の野球丸』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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