コロナ戦争時代の立て看板

新宿区改代町あたり

私、A先生は、毎朝散歩をしてはネタになる画像をスマホで撮り、インスタグラム、ツイッター、フェイスブックにアップすることを習慣にしています。
毎回、何らかのリプやツッコミが入るので、寝起きの頭の体操としてはちょうどいいのですよ。

で、今朝のネタ画像は、肝心の文字がすっかり消えてしまったこの立て看板。
これをFBにあげたら、同世代のチャリ友からこんな修正画像が届きました。

「ちゅうい」の赤文字がピッタリ収まってますね

う〜ん、グッジョ〜ブ!
ちょっと考えさせられたのは、少し年上のチャリ先輩から寄せられたこんな昔のタテカン画像。

撮影されたのは昭和47〜48年頃らしい

右側のタテカン、赤で書かれた最初の1行に注目!
この言葉には何物にも優るインパクトがあります。

この画像を送ってくれたGさんによると、撮影された時代は「昭和47〜48年頃でしょう」とのこと。
「当時は交通戦争が激しかったんですよね」と言われて、ああ、そういう言葉もあったなあ、と懐かしく思い返しました。

すると、いまはさしずめ「コロナ戦争」時代か、などと思っていたら、LINEニュースでこんな画像が流れてきました。
沖縄タイムスが伝えたうるま市立宮森小学校に設置された立て看板です。

沖縄タイムスのLINEニュースより

こいつはウケた!!!🤣
こういう時代だからこそ、ユーモアって大切だよな、と痛感したタテカンでした。

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』、WEDGE Infinity『赤坂英一の野球丸』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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