東京スポーツ『球界平成裏面史6/長嶋・森・渡辺オーナー、史上空前の暗闘の巻②』

長嶋監督が6年契約の最終年を迎えた平成10年(1998年)、渡辺オーナーは開幕前から長嶋監督に対して辛辣な言葉を浴びせていた。
2年連続で優勝を逃し、前年は巨人復帰後初のBクラスに沈んで、ファンの間でも采配能力を疑問視する声が高まっていたころである。

開幕前の燦燦会(長嶋監督個人の財界支援団体)で、渡辺オーナーは「今年は優勝できるだけの十分な戦力がそろった。あとは長嶋監督の采配次第」と発言。
首位戦線から脱落した中、7月31日の阪神戦では、バルビーノ・ガルベスが審判にボールを投げつけるという事件も発生する。

長嶋監督はケジメの意味で頭を丸めたのだが、その直後、渡辺オーナーが観戦に訪れた広島戦で延長戦の末に競り負け。
渡辺オーナーはこのとき、「今年はもうメークドラマはない。2〜3年かけて永遠の巨人軍を作るよ」と突き放すようにコメントしている。

渡辺オーナーの〝終戦発言〟を伝える日刊スポーツ・1998年8月6日付1面

そして、それから13日後の8月19日、長嶋監督は秘かに渡辺オーナーに辞表を提出していた。
これをスクープしたのがスポーツニッポンである。

長嶋監督の辞表提出を報じたスポーツニッポン・1998年9月7日付1面

この新聞が出た夜、渡辺オーナーは「長嶋くんには会っていない」と躍起になって全面否定したのだが…。
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スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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