東京スポーツ『球界平成裏面史3/巨人編③清原 vs 堀内監督の巻』

猪木さんも60周年とは知りませんでした!(東スポ創刊60周年記念の4月5日付紙面)

平成時代のプロ野球を振り返る巨人編の3回目。
いまではファンもマスコミもほとんど語ろうとしない堀内監督時代の2年間、平成16〜17年(2004〜2005年)にスポットを当ててみました。

当時、球界で最大のトピックと言えば、球界再編、選手会ストライキ、近鉄消滅&楽天誕生。
そうした中、巨人に軸足を置いていた私にとって、最も印象に残っているのは、清原と堀内監督の対立と確執なのです。

純粋でまっとうな野球取材とは言えないかもしれないけど、当時の揉め事の数々はとにかく面白かった!
なにしろ、あの清原がキャンプから二軍スタートを強いられて、宮崎のファーム専用宿舎に寝泊まりし、まだ建設途中だった清武の球場で練習をさせられ、ものすごい形相でバットを振り込んでたんだから。

現在はオリックスがキャンプをしている清武も、当時は球場にあるべきはずの本部席もプレスルームもない、ほとんどただの野っ原。
広報担当の香坂さんは宮崎市と掛け合い、球場の前にプレハブ小屋を建て、われわれ記者に仕事や食事をさせてくれました。

あれは、球団広報の歴史に残すべき卓越した仕事だったと、いまでも思う。
香坂さんの建てたプレハブ小屋は報道陣に「清武小屋」、もしくは当時の清原の仇名をもじって「番長小屋」などと呼ばれた。

あのころ、ぼくは毎日、橘通のホテルメリージュから清武まで自転車(テスタッチ・シクロ2)をこいで行った。
球場へは上りゴールになるため、汗びっしょりになって番長小屋に駆け込み、ストーブの前で着替えを済ませてから取材していたものです。

その〝成果〟はきょうの東スポ、大スポ、中京スポでお読みください!
朝刊の九スポは明日掲載の予定です!

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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