BS1スペシャル『“悪魔の兵器”はこうして誕生した〜原爆 科学者たちの心の闇〜』(NHK-BS)🤗

NHK 110分 初放送:2018年8月12日22時〜 再放送:2020年2月23日24時〜

「原爆の父」と呼ばれた物理学者ロバート・オッペンハイマーが非常に功名心の強い人物であったことはよく知られている。
ローランド・ジョフィが監督した映画『シャドー・メーカーズ』(1989年)でも、初めて原爆実験を成功させたオッペンハイマー(ドワイト・シュルツ)が両腕を振り上げ、ガッツポーズを取りながらロスアラモスの研究所に帰ってくる姿が象徴的に描かれていた。

しかし、「マンハッタン計画」と呼ばれたこの大量殺戮プロジェクトに魅入られ、原爆開発に血眼になっていたのは、オッペンハイマーひとりではない。
ロスアラモスだけでのべ300人、全米に置かれた25カ所の研究所も含めると、実にのべ1200人もの科学者が、高額な報酬と理想的な環境に惹かれ、「悪魔の兵器」の製造に関わっていたのだ。

NHKが現在のロスアラモスをはじめ、様々な歴史家、大学教授、研究機関などを訪ね、当時の科学者たちの肉声を収めたビデオや文書を収集し、110分のドキュメンタリーに収めたのが本作である。
開巻早々、ノーベル物理学者イシドール・ラビ、戦後アメリカ物理学会会長となったロバート・ウィルソンらが登場し、何の躊躇いもなく「原爆の爆発に高揚感を覚えた」「科学者として達成感を感じる仕事だった」などと述懐する。

第一の主人公は、そうした科学者たち束ね、ロスアラモス研究所所長として原爆開発を指揮したオッペンハイマーの人物像。
ここでは、ロスアラモスでオッペンハイマーの仕事を手伝った実弟フランクのインタビュー映像が紹介されている。

極めて自尊心の強いオッペンハイマーは、ノーベル賞受賞を目指したが敵わず、カリフォルニア大学バークレー校の同僚だったアーネスト・ローレンスにその名誉を先取りされてしまう。
このときの敗北感が、人類史上初の原爆開発者になりたいというモチベーションのひとつになったのだ。

この逸話と分析は何となく、ノーベル文学賞をめぐる川端康成と三島由紀夫の関係性を彷彿とさせ、そう思って見ると、オッペンハイマーと三島の顔立ちはどことなく似ているように感じられなくもない。
ロスアラモスで理論部門の中心的役割を担ったノーベル物理学賞学者ハンス・ベーテが「彼は世界を驚かすような論文を何も書いていない」と笑いながら話しているインタビュー映像が印象的だ。

オッペンハイマーはマンハッタン計画の指揮官レズリー・グローヴス陸軍中将に猛烈な売り込みをかけ、「科学者としての名声を賭ける」と大見得を切ってロスアラモス研究所の所長に収まることに成功。
ベーテのような実績のある科学者には資金と環境を売り物に、ロバート・クローンのような若い研究者には有名な科学者と一緒に仕事ができる魅力を吹聴し、次から次へと科学者をスカウトしてゆく。

マンハッタン計画に参加した物理学者フリーマン・ダイソンは、オッペンハイマーとクローヴス将軍及び米軍との結びつきを「ファウスト的契約の典型だった」と指摘している。
つまり、悪魔に魂を売って、引き換えに絶大な力を得たのだ、と。

第二の主人公は、当時ドイツから亡命してきたユダヤ人物理学者レオ・シラードである。
ナチスによるユダヤ人狩りから逃れてアメリカにやってきたシラードは、ドイツの科学者が原子核の分裂、即ち原爆の元となる技術を発見したという世界的ニュースに接し、慄然とする。

この核物理学における新技術開発に成功したのもノーベル物理学者で、ドイツ人のヴェルナー・ハイゼンベルクだという。
いまもテープに残っている「ドイツには原爆を作れる人材がいる。私はその恐怖に怯えていた」というシラードの肉声が、彼の受けた衝撃の大きさを生々しく伝えている。

ドイツに原爆を作らせてはならない、アメリカにドイツよりも早く原爆を開発させ、この第二次世界大戦でドイツを倒してもらう必要がある。
そう考えたシラードは、同じドイツからアメリカに亡命していたユダヤ人のノーベル賞物理学者アルベルト・アインシュタインを担ぎ出し、時のフランクリン・ルーズベルト大統領に原爆を作るよう働きかけた。

このとき、マンハッタン計画の立案と実施に尽力したのが、12年に渡ってルーズベールト大統領の科学顧問を務めていたヴァニーヴァー・ブッシュだ。
大統領に直談判して科学開発局という組織を作り上げ、大統領の許可なしに予算を使い、焼夷弾や射程距離の長い火炎放射器、そして、原爆開発を裏側で主導していたこの人物が、本作の第三の主人公である。

私も一度尋ねたことのあるMIT(マサチューセッツ工科大学)には、学生のために撮影されたブッシュのインタビュー映像が残されている。
原爆を作ったことを後悔していないのかと質問されたブッシュは、明快な口調で、堂々とこう答えている。

「ノー。もちろん、ないね。原爆を作ることが目的ではない。戦争に科学技術を活用しただけだ。
誘導ミサイルもロケットも同じさ。こうなることは必然だったんだよ。文明が学ぶことのひとつだった。科学がもたらした恵みなんだ」

のちにMITの副学長にまで上り詰めたブッシュは、1929年の大恐慌で職を失い、多くの科学者が路頭に迷った経験から、戦争に貢献することで科学者の社会的地位を上げようという野心に燃えていた。
この戦争のためにわれわれが新たな科学兵器を開発し、それを政治家たちに使わせなければならない、そうやって科学者の価値を認めさせるのだ、と。

そのブッシュも、オッペンハイマーも、何か物の怪にでも取り憑かれていたかのように、科学者としてのエゴに突き動かされていた。
こうしてマンハッタン計画がスタートした1945年春にはすでにドイツはかつての勢力を失い、原爆を開発する準備にすら着手していないことがわかっていたにもかかわらず、彼ら中心的役割を担った科学者たちは原爆開発へと突き進む。

そうした中、もはやユダヤ人を虐殺したドイツ打倒のために原爆を開発する必要がなくなったと悟ったシラードが、激しく揺れ動く胸中を吐露した生々しい肉声の録音が紹介される。
原爆の標的がドイツではなく、1941年から開戦した日本に落とされたらどうすればいいのか、と。

シラードはふたたびルーズベルト大統領に手紙を送り、原爆の開発と使用を見直すべきではないか、直接会って話がしたいと要請し、了解の返事を得るが、その矢先の1945年4月12日にそのルーズベルトが急死。
代わって副大統領から大統領に就任したのが、かつて上院議会でマンハッタン計画に費やされた使途不明金を追求していたハリー・トルーマンだったとは、何という皮肉だろうか。

事ここに至って完全に心変わりしたシラードとシカゴ大学の科学者たちは、原爆を実際に使う必要はない、デモンストレーションの結果を世界にアピールすれば日本に十分な脅威を与えられる、という意見書を提出する。
しかし、オッペンハイマーは「単なるデモンストレーションでは戦争を終結させる見込みがない」としてこれを却下。

また、ブッシュもあくまで日本に落とすべきだ、それがアメリカの科学の成果を見せつけることにもなる、と主張。
すでに20億ドルもの巨額の資金が投じられている以上、原爆が使用されずに終わったら、ブッシュが議会で責任を追及され、失脚するのは火を見るよりも明らかだったからだ。

こうして、広島と長崎に原爆が落とされ、数十万人の犠牲者が出ることになったのである。
ブッシュの伝記を書いたアリゾナ州立大学教授パスカル・ザッカリーは、原爆を開発した科学者たちをこう断罪している。

「最後は原爆投下に反対したシラードたちも、外に向かってそのことを訴えようとはしなかった。最後まで守秘義務を破ろうとはしなかった。
これは重要なポイントです。当時はエドワード・スノーデンのような人物がいなかったということです」

オススメ度A。

スポーツライター。 最新刊は構成を担当した達川光男氏の著書『広島力』(講談社)。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』、WEDGE Infinity『赤坂英一の野球丸』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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