『遊戯の終り』フリオ・コルタサル😁🤓🤔

Final del juego 翻訳:木村榮一 214ページ 国書刊行会 ラテンアメリカ文学叢書5 
定価2200円 初版第1刷:1977年10月30日 第2刷:1982年4月10日 原書発行:1956年

アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルが前項『石蹴り遊び』(1963年)を発表する前に上梓した短編集である。
この邦訳版はまだラテンアメリカ文学が日本でブームとなる前、国書刊行会が発行したラテンアメリカ文学叢書、全19巻のうちの第5巻。

編集・監修を法政大教授だった鼓直が務めていたこともあり、法政の学生だったころ、すでに一度読んでいる。
当時はロッド・サーリングやロバート・A・ハインラインを思わせる幻想的かつSF的な作風に魅せられ、あっという間に読了した。

これなら、代表作の長編『石蹴り遊び』もさぞかし面白いに違いない。
と思い込んで飛びついたら、あまりに形而上学的で、学生だったぼくには難解極まる内容に、1ページ目から跳ね返されてしまったことは前項で書いた通り。

今回は、『石蹴り遊び』を読破したあとで改めて再読。
現実と虚構の間を論理的、それでいてときに叙情的に行き来して見せるコルタサル の方法論とレトリックに感嘆させられた。

巻頭の『続いている公園』では、主人公が一度は途中で投げ出したミステリ小説を再度読み始め、引きずり込まれてやめられなくなる。
小説中で人妻と不倫をしている男が、相手の亭主を殺すことを決意し、凶器を手に自宅へ忍び込んだら、小説を読んでいる主人公の背後に現れ…。

次の『誰も悪くはない』では、主人公がセーターを着ようとしたら、袖に通した右腕の指が皺だらけになり、黒い爪がついている。
驚いて右手を引き抜き、何の変化もないことを確かめて、もう一度セーターの着直そうとしたら…。

このように、虚構であるはずの世界、ふと垣間見えた悪夢のような一瞬が、いつの間にか現実につながるという構造は『いまいましいドア』や『バッカスの巫女たち』も同じだ。
クラシック音楽のコンサートで聴衆が暴徒と化す『バッカスの巫女たち』は、昔の筒井康隆の短編に似ている。

『夜、あおむけにされて』では、オートバイ事故で入院した文明社会の主人公が、先住民族の戦士として敵部族に追われている悪夢を見て、ついに捕まったと思っては病室で目を覚ましているうち、夢と現実が入れ替わってしまう。
処刑台に仰向けに縛り付けられ、いよいよ殺される寸前、何度も目を閉じては病室の現実に戻ろうとした主人公が、実はこちらこそが現実なのだと悟るエンディングはかなり怖い。

そうした不条理文学のお手本みたいな短編の一方、コルタサル が少年期の思い出をセンチメンタルに綴った作品も実に秀逸。
とくに、幼い恋心が破れる過程を綴った『殺虫剤』、少年期に特有の孤独感を動物に託した『山椒魚』、すれ違いに終わる十代の仄かな恋を描いた表題作『遊戯の終り』が素晴らしい。

😁🤓🤔

2020読書目録
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※は再読、及び旧サイトからのレビュー再録

4『石蹴り遊び』フリオ・コルタサル著、土岐恒二訳(1984年/集英社)😁🤓🤔😖
3『らふ』森下くるみ(2010年/青志社)🤔☺️
2『最期のキス』古尾谷登志江(2004年/講談社)😢😳
1『黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄』奥山和由、春日太一(2019年/文藝春秋)😆😳🤔

スポーツライター。 1986年、日刊現代に入社。88年から運動部記者を務める。2002年に単行本デビュー作『バントの神様 川相昌弘と巨人軍の物語』(講談社)を上梓。06年に独立。『失われた甲子園』(講談社)新潮ドキュメント賞ノミネート。東スポ毎週火曜『赤ペン!!』連載中。 東京運動記者クラブ会員。日本文藝家協会会員。
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